7-6.【要点まとめ】 戦後国際政治史(全4期)について

①東西冷戦期 / ②多極化期 / ③冷戦終結期 / ④地域紛争期 の全4期で戦後の国際政治史をとらえます。

 

【1.東西冷戦期】

冷戦とは「にらみ合い」のことだと思ってください。実際に戦争になる状態を熱戦と呼びますが、冷戦なので戦争になっていない状態で止まっている段階です。それがヨーロッパを中心に東側の国々と西側の国々に分かれてにらみ合っていたため、東西冷戦と呼ばれました。

また、西側が資本主義陣営、東側が社会主義陣営とされました。そして、西側の中心はアメリカ、東側の中心はソ連です。つまり、冷戦とは「アメリカを中心とする西側の資本主義陣営とソ連を中心とする東側の社会主義陣営によるにらみ合い」ということになります。

 

※参考:東西冷戦の「3つの対立」

 冷戦時、西側諸国と東側諸国は政治・経済・軍事の3つの面で対立していました。
政治面では「(西側)トルーマンドクトリンvs(東側)コミンフォルム」が、
経済面では「(西側)マーシャルプランvs(東側)コメコン」が、
軍事面では「(西側)北大西洋条約機構vs(東側)ワルシャワ条約機構」が対立構造となっていました。なお、それぞれの対立構造の影響として、核抑止政策などの勢力均衡が図られたり、米ソの代理戦争が発生したりしました。

 

そして、冷戦が激しくなり、核戦争一歩手前まで行く展開となりました。その出来事を「キューバ危機」と呼びます。ただし、キューバ危機はホットラインという電話で回避したとされます。

その後、激しくなっていた冷戦が少し落ち着きました。この状況をデタント(雪どけ)と呼びます。ところが、この状況で冷戦の中心となっている西側諸国と東側諸国とは別のところで、新たな動きが出てきました。

 

【2.多極化期】

東西冷戦期の後に、西側諸国を中心とするアメリカと東側諸国と中心とするソ連という2つの大国の体制が3つの視点で崩壊する展開となりました。

1つは、西側諸国の動きです。当時の西側ではフランスがNATOから脱退するということが発生しました。

そうすると、当然もう1つは東側諸国の動きです。当時は、東側諸国の代表的な国である中国とソ連が対立するようになりました。

西側と東側のそれぞれで崩壊が進むと、西側と東側に関係ない国が出てくるようになりました。出てきたのは途上国です。(米ソの冷戦構造は、あくまでも北半球で行われていた出来事でした。そのため、南半球にある途上国は今まで関係なかったわけです。)
ちなみに、西側を第一世界、東側を第二世界と呼んだため、どちらにも属さない新しい国々という意味で途上国の国々を第三世界と呼びました。
また、途上国は非同盟主義(米ソ両方に属さない主義)を採用しました。
このように、冷戦の東西対立だけではない展開になった状況と多極化と呼びます。つまり、2大対立だった冷戦が徐々に複雑化していったという話です。

 

〈※参考:多極化の歴史〉

 1955年にアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催されました。(インドのネルー・中国の周恩来が中心)
また、1960年は「アフリカの年」と呼ばれ、17の国が独立しました。
そして、1961年に第1回非同盟諸国首脳会議が開催されました。(開催場所:ユーゴスラヴィアのベオグラード)

 

【3.冷戦終結期】

複雑になっていった冷戦は「ソ連のゴルバチョフの活躍」によって終了しました。

当時、ソ連のゴルバチョフ書記長は「新思考外交」を展開し、具体的な内容として「ペレストロイカ(革命)」と「グラスノスチ(情報公開)」の2つを行いました。

これらの影響もあって、ベルリンの壁が崩壊しました。(ベルリンの壁の崩壊によって、ドイツが統一しています。)さらに、「東欧革命」と呼ばれる、東ヨーロッパの社会主義の国々が民主化していく展開となりました。

そして、マルタ会談という米ソ首脳会談によって、冷戦が終了したとされます。

その結果、ソ連が解体しました。しかも、ソ連という力におさえつけられていた国々が自分たちの力を発揮するようになり、民族紛争やテロへつながっていきました。

 

【4.地域紛争期】

冷戦終結後の地域紛争として、以下のような紛争が見られました。

[ユーゴスラビア紛争]NATO軍の人道的介入

[湾岸戦争]イラクがクウェートへ侵攻。

[同時多発テロ]アメリカがアフガニスタン(タリバン政権)へ報復。また、イラク戦争でフセイン政権を崩壊。

[アラブの春]エジプトやアラブでの民主化運動。

[イスラム国(IS)の台頭]イスラム過激派の活動。

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