戦後の国際政治史を4つの期間で整理する(冷戦・多極化・地域紛争)【7-6】

現在も世界では紛争が頻発しています。
なぜ、紛争はなくならないのでしょうか。

 

この問題を歴史的側面から考えます。

そこで、話題が世界であること、現在を理解する必要があることから、第二次世界大戦後の国際政治について理解します。

が、政治経済にはめずらしく歴史的な内容が入ります。

ただし、戦後の国際政治を理解するのに、出来事をバラバラにおさえてしまうと、すぐに混乱します。
そこで、この記事では戦後国際政治史を全4期に分けて確認します。

 

ポイントは「何が起こったか」に注目するのではなく、「世界の対立構造がどう変化したか」に目を向けて経過をつかむことです。

 

ここでは、

①東西冷戦期 / ②多極化期 / ③冷戦終結期 / ④地域紛争期 の全4期で考えます。

 

つまり、「米ソの二極対立」が「複雑化」して「終結」し、その結果として「現代の地域紛争やテロ」につながっていく
という流れです。

▶ 戦後国際政治を読む前に、国連・安全保障理事会・PKOの前提を整理したい方はこちら(国際連合は世界平和と安全のために何をしている?(安全保障理事会のしくみとPKO))をご覧下さい。

 

【1.東西冷戦期:米ソの二極対立から戦後が始まる】

〈冷戦=「戦わない対立」〉

「冷戦とはなにか、説明せよ。」

という質問にどのように答えるでしょうか。

 

冷戦とは「にらみ合い」のことだと思ってください。
実際に戦争になる状態を熱戦と呼びますが、冷戦なので戦争になっていない状態で止まっている段階です。

それがヨーロッパを中心に東側の国々と西側の国々に分かれてにらみ合っていたため、東西冷戦と呼ばれました。

 

〈西側と東側のちがい〉

では、東側と西側はそれぞれなにを根拠に分かれていたのでしょうか。

それは、「資本主義」か「社会主義」か、ですね。
西側が資本主義陣営、東側が社会主義陣営とされました。
また、西側の中心はアメリカ、東側の中心はソ連です。

 

つまり、冷戦とは「アメリカを中心とする西側の資本主義陣営とソ連を中心とする東側の社会主義陣営によるにらみ合い」ということになります。

 

ちなみに、西側と東側で対立が開始した理由は、第二次世界大戦という共通の目的がなくなったためだとされます。

 

〈東西冷戦の3つの対立〉

※参考:東西冷戦の「3つの対立」

冷戦時、西側諸国と東側諸国は政治・経済・軍事の3つの面で対立していました。

政治面では「(西側)トルーマンドクトリンvs(東側)コミンフォルム」が、

経済面では「(西側)マーシャルプランvs(東側)コメコン」が、

軍事面では「(西側)北大西洋条約機構vs(東側)ワルシャワ条約機構」が対立構造となっていました。

なお、それぞれの対立構造の影響として、核抑止政策などの勢力均衡が図られたり、米ソの代理戦争が発生したりしました。

 

〈キューバ危機とデタント〉

そして、冷戦が激しくなり、核戦争一歩手前まで行く展開となりました。
その出来事を「キューバ危機」と呼びます。

ただし、キューバ危機はホットラインという電話で回避したとされます。そして、激しくなっていた冷戦が少し落ち着きました。この状況をデタント(雪どけ)と呼びます。

 

このように、世界は「西側 vs 東側」という二極構造で見れば理解できました。

ところが、この状況で冷戦の中心となっている西側諸国と東側諸国とは別のところで、新たな動きが出てきました。

つまり、「西側vs東側」という構図がしだいに崩れ、より複雑になっていきました。
それが「多極化」です。

 

【2.多極化期:冷戦は「二極」だけでは説明できなくなる】

「第三世界とはなにか、説明せよ。」

という質問に、どのように答えるのでしょうか。

 

東西冷戦期の後に、西側諸国を中心とするアメリカと東側諸国と中心とするソ連という2つの大国の体制が崩壊する展開となりました。

ここでは、大きく3つの視点でとらえましょう。

 

〈視点①:西側のゆらぎ〉

1つは、西側諸国の動きです。

例えば、西側ではフランスがNATOから脱退するということが発生しました。

 

〈視点②:東側のゆらぎ〉

そうすると、当然もう1つは東側諸国の動きです。
例えば、東側諸国の代表的な国である中国とソ連が対立するようになりました。

 

〈第三世界と非同盟主義〉

西側と東側のそれぞれで崩壊が進むと、西側と東側に関係ない国が出てくるようになりました。
出てきたのは途上国です。
(米ソの冷戦構造は、あくまでも北半球で行われていた出来事でした。そのため、南半球にある途上国は今まで関係なかったわけです。)

ちなみに、西側を第一世界、東側を第二世界と呼んだため、どちらにも属さない新しい国々という意味で途上国の国々を第三世界と呼びました。

また、途上国は非同盟主義(米ソ両方に属さない主義)を採用しました。
このように、冷戦の東西対立だけではない展開になった状況と多極化と呼びます。

 

つまり、2大対立だった冷戦が徐々に複雑化していったという話です。

 

〈バンドン会議から非同盟会議へ〉

〈※参考:多極化の歴史〉
1955年にアジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催されました。(インドのネルー・中国の周恩来が中心)
また、1960年は「アフリカの年」と呼ばれ、17の国が独立しました。
そして、1961年に第1回非同盟諸国首脳会議が開催されました。(開催場所:ユーゴスラヴィアのベオグラード)

 

ただし、冷戦はずっと同じ形で続いたわけではありません。
二極対立がゆらぎ始めた結果、ついに冷戦そのものが終わる段階に入ります。

 

 

【3.冷戦終結期:ゴルバチョフが流れを変える】

「複雑になっていった冷戦は、どのように終了したのでしょうか。」

この質問に対する結論は「ソ連のゴルバチョフの活躍」です。

 

〈新思考外交とは〉

当時、ソ連にゴルバチョフ書記長という人がいました。
この人は「新思考外交」を展開することを考えました。単純に、今までの世界の政治に対して新しい考え方で対応していこうという話ですね。

 

〈ペレストロイカとグラスノスチ〉

具体的な内容としては大きく2つです。

1つは「ペレストロイカ」です。「改革」という意味です。

もう1つは「グラスノスチ」です。「情報公開」という意味です。

 

〈ベルリンの壁崩壊と東欧革命〉

これらが影響して、ベルリンの壁が崩壊しました。
(ベルリンの壁の崩壊によって、ドイツが統一しています。)

さらに、「東欧革命」と呼ばれる、東ヨーロッパの社会主義の国々が民主化していく展開となりました。

 

〈マルタ会談とソ連解体〉

そして、マルタ会談という米ソ首脳会談によって、冷戦が終了したとされます。

 

その結果、ソ連が解体しました。
しかも、ソ連という力におさえつけられていた国々が自分たちの力を発揮するようになり、民族紛争やテロへつながっていきました。

 

つまり、「ゴルバチョフの活躍 → ベルリンの壁崩壊 → マルタ会談 → ソ連解体」という流れを受けて、民族紛争やテロが発生する現代につながっていったというわけです。

本来、冷戦が終われば世界は平和になる、と思いたくなります。
しかし実際には、冷戦中に抑え込まれていた問題が一気に表面化しました。

 

 

【4.地域紛争期:冷戦後は民族紛争とテロが前面に出る】

〈なぜ地域紛争が増えるのか〉

もう一度確認しましょう。
「冷戦でおさえつけられていた様々な民族の欲求不満の爆発」が地域紛争の要因です。

なぜ欲求不満が爆発するのか?という疑問の回答はいくつも考えられますが、要因の1つは「平和に暮らしたいが、お金がない」ということがあるようです。

 

では、冷戦終結後に具体的にどのような地域紛争があるのか確認しましょう。

 

〈地域紛争の代表例〉

ユーゴスラビア紛争]NATO軍の人道的介入が見られました。

湾岸戦争]イラクがクウェートへ侵攻しています。

同時多発テロ]アメリカがアフガニスタン(タリバン政権)へ報復しました。また、イラク戦争でフセイン政権を崩壊しました。

アラブの春]エジプトやアラブでの民主化運動が見られました。

イスラム国(IS)の台頭]イスラム過激派の活動が見られました。

 

このような、紛争地域の子どもたちを救う方法は何が考えられるでしょうか。このあたりを考えるのが日本の人々の役目なのかもしれません。

▶ 地域紛争の具体例と難民問題まで確認したい方はこちら(世界各地で起きている争いに苦しめられている人を救うには(地域紛争と難民問題))をご覧ください。
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