政治システム(物事の優先順位の決め方)は、「王様に決めてもらう王権神授説」から「市民で話し合って決める社会契約説」に変わっていったという経過があります。
そのきっかけとなったのが市民革命でした。(市民革命で有名な国は、イギリス・アメリカ・フランスの3つです。)
では、この市民革命で当時の人々は具体的に何を獲得したのでしょうか。
ここではイギリス・アメリカ・フランスの3国を比べ、獲得したものを一気に整理します。
まずは、最初に市民革命が進んだイギリスから確認します。
【イギリスの市民革命で獲得された人権保障】
イギリスでは、国王の権力を縛る文書を積み重ねる形で人権保障が進みました。
マグナ=カルタ(1215)― 国王の勝手を止める出発点
イギリスの市民革命を把握するためには、1215年までさかのぼる必要があります。
当時は、ジョン王という人がイギリスを支配していたのですが、それがうまくいかず、当時の人々から猛反発をくらいました。
(ジョン王は、むやみに人々を逮捕したり、勝手に税金を増やしたりして、当時の人々を苦しめていました。)
そこで、当時の人々がジョン王に反省してもらうように促し、その反省文として1215年にマグナ=カルタ(大憲章)と呼ばれるものが誕生しました。
マグナ=カルタによって、権力をふりかざしてむやみに逮捕しないこと、勝手に税金を増やさないことをジョン王に認めさせました。
ここから導き出された考え方が現在の日本にも根付いている罪刑法定主義と租税法定主義です。
権利請願(1628)― “もう一度守れ”という再確認
そして、時は流れ、三十年戦争の時にチャールズ1世という人がイギリスを支配していました。
このとき、マグナ=カルタで芽生えた「国王の権力を縛る考え方」は、のちに再び問われることになります
この人もジョン王と同じようにむやみな逮捕や税金の強化を行い、市民から反発を受けていたため、当時の人々から1628年に権利請願が出されました。
これは、「マグナ=カルタの内容を再度確認してください」というお願いのことですが、そのお願いをチャールズ1世は無視し続けました。
権利章典(1689)― 市民革命でルールとして確定
チャールズ1世が権利請願に対して無視し続けたため、当時の市民は「もう革命を起こすしかない」と考えて、清教徒革命(ピューリタン革命)と名誉革命という2つの市民革命が起こりました。
その結果、1689年に権利章典として認めさせました。つ
まり、市民革命によって権利請願というお願いから、権利章典という実際のルールへの格上げまで行ったということになります。このときに、立憲君主制(国王は君臨すれども統治せず)という考え方も確立しています。
なお、現在のイギリスは、不文憲法として日本のように憲法を明文化はしていませんが、マグナ=カルタ・権利請願・権利章典の3つの考え方は不文憲法の考え方に根付いていると言われています。
このように、イギリスは「マグナ=カルタ → 権利請願 → 権利章典」で国王の権力を縛ったと捉えられます。
【アメリカの市民革命で獲得された人権保障】
アメリカでは、独立の正当性を示すために人権が“宣言”されました。
独立宣言(1776)― 自然権思想と抵抗権の宣言
アメリカは独立革命という市民革命を経て、1776年にアメリカ独立宣言を出しました。
この宣言では、自然権思想(創造主から天賦の権利を…)と抵抗権(人民はそれを改廃し…)が主張されました。
ロックの影響と「抵抗権」の意味
なお、起草はジェファーソンという人で、ロックの社会契約説の影響を受けたと言われています。(ロックは権利を信託する際に、権力者が暴れたら抵抗権を使ってよい、という発想でした。)
そのため、アメリカ独立宣言でも抵抗権がうたわれているわけです。
【フランスの市民革命で獲得された人権保障】
フランスでは、人権を“普遍的な原理”として宣言した点が特徴です。
人権宣言(1789)― 自由・平等・国民主権の宣言
フランスはフランス革命という市民革命を経て、1789年にフランス人権宣言が出されました。
この宣言では、国民主権・権力分立・自由と権利の平等などがうたわれました。なお、起草はラファイエットという人です。
このように、イギリスはマグナ=カルタ・権利請願・権利章典を、アメリカはアメリカ独立宣言を、フランスはフランス人権宣言を獲得しています。
市民革命で得られたものは、現在のイギリス・アメリカ・フランスにどのような影響を与えているのでしょうか。