5-4. 戦後日本経済史② 高度経済成長期(1955~1973)|なぜ成長した?なぜ終わった?

戦後日本経済の高度経済成長期の理解は、
「なにがあったのか」という事実よりも
「なぜ成長したのか」「なぜ終わったのか」という因果のほうが重要です。

このページでは、
・なぜ高度経済成長が起きたのか
・その時に生まれた4つの景気はなんなのか
・高度経済成長がなぜ終わったのか(その理由はなにか)
・石油危機でどのような影響が見られたのか
を流れでつかみます。

▶ 高度経済成長期の前の段階の戦後日本経済を確認したい方はこちら(戦後日本経済史② 高度経済成長期(1955~1973)|なぜ成長した?なぜ終わった?)をご覧ください。

 

【※経済の前提:そもそも経済成長とはなにか】

今の日本の経済成長に必要なことはなんでしょうか。

 

この質問に対する答えを、いろんな立場の多くの大人が模索しています。そこで、もう少し深く考えましょう。

 

そもそも「経済成長」とはなんなのでしょうか。

 

〈※経済成長とは〉

国の規模で考えれば、国全体の利潤が増加することです。
利潤を生み出すのは企業なので、簡単に言うと「日本の多くの企業が儲かること」が経済成長につながります。
(ただし、日本企業の儲けが賃金に反映されてないなどの問題は別の話になってしまうので、企業の利潤のみに注目します。)利潤は「できるだけ売上を増やし」「できるだけ費用を減らす」ことで生まれます。つまり、「利潤=売上-費用」という計算式が成立します。

もう一度確認しましょう。企業は売上をできるだけ増やし、費用をできるだけ減らすことが要求されるのです。

▶ 売上や利潤などの経済の基本的な考え方を先に確認したい方はこちら(経済主体とは?家計・企業・政府と所得・利潤のしくみ)をご覧ください。

〈高度経済成長とは、どういうことか〉

本題です。高度経済成長期なので、経済成長の中でも高度なのです。数字にすると、年平均約10%の経済成長を続けている状態です。
(世界全体の経済成長の年平均は約1%なので、10%の成長はすごい数字です。)

つまり、高度経済成長期は企業が利潤をたくさん生み出せた時期である、ということになります。

 

では、なぜ企業は多くの儲けを生み出すことができたのでしょうか。企業の成長(利潤)のために企業ができることは、なにがあるのでしょうか。

 

【高度経済成長はなぜ始まったのか】: 高度成長を支えた4つの要因

多くの企業がなぜ多くの儲けを生み出せるようになったのか、その答えをいくつか確認しましょう。
当時は大きく4つの要因があったと言われます。

 

〈要因①:消費革命〉

1つめは、人々に「とにかくたくさんモノが売れるようになった」という点です。
当時は、人々が革命的に消費を増やすようになったので消費革命と呼ばれるようになりました。つまり、企業は消費革命が起こるほどたくさんモノが売れる工夫が必要だということです。

 

〈要因②:安価で豊富な労働力〉

2つめは、「安い給料で働く人材がたくさんいた」という点です。
安価で豊富な労働力が確保できたので、企業が成長したと言われています。
つまり、人材確保が企業にとってとても大切だということになります。
(実際、2026年現在で、人材確保に苦しんでいる業界はたくさんあります。)

 

〈要因③:高い貯蓄率〉

3つめは、「日本人が高い貯蓄率であった」という点です。
日本人は海外と比較して貯金する傾向にあると言われています。そのため、日本人が現金を銀行に預け、銀行が預金の一部を企業に貸し出すことで、企業が資金調達を円滑に行うことができました。
つまり、企業は資金調達が大切だということです。

 

〈要因④:自由貿易〉

4つめは、「市場を海外に広げた」という点です。
日本国内で商品が売れなくなる理由の1つに「その商品を国民のほとんどが持ってしまっている」というのが考えられます。(歴史的に見ても、帝国主義などで植民地獲得競争が見られる要因の1つも市場の確保だと言われています。)
だとしたら、その商品をまだ持っていない人々へ販売することで、企業がさらに成長できることになります。
そこで、日本を飛び出して海外に販売するようになるわけです。これを自由貿易と呼びます。(この時日本はGATTに加盟しました。)

▶貿易の考え方や理論について先に確認したい方はこちら(日本が世界の中で稼いでいくためには(貿易と国際分業))をご覧ください。

 

つまり、高度経済成長が伸びた理由は、
①需要(消費革命)+ ②供給(労働力)+ ③投資(高貯蓄) + ④海外(自由貿易)の4点セットだと言えます。

しかも、このときの成長は大きく4段階で分けられ、(オリンピックの反動を除いて基本的には)ずっと成長していました。

「どの順番で経済成長したか」を【4つの景気】で確認します。

 

 

【高度経済成長期の4段階】(神武→岩戸→オリンピック→いざなぎ)

高度経済成長期は全4段階でとらえることが可能です。好景気が4段階の間ずっと続くため、全てに「○○景気」と名付けられます。

 

〈①神武景気〉

第1段階は「神武景気」です。
日本の初代天皇の神武天皇から名付けられるくらいの、空前の好景気だったことが分かります。
この時に三種の神器(冷蔵庫/洗濯機/白黒テレビ)が売れるようになり、1956年の『経済白書』では「もはや戦後ではない」と表現されるくらいの経済成長になっていました。

 

〈②岩戸景気〉

第2段階は「岩戸景気」です。
神武天皇だけでは表現が足りなくなり、天照大神という神が隠れたとされる天岩戸から名付けられるくらいの、空前の好景気だったことが分かります。(このとき、池田勇人首相の所得倍増計画が出されています。)
また、岩戸景気を通して、日本は先進国の仲間入りを果たしたと言われています。OECDへの加盟や、貿易の自由化(GATT12条国→11条国になり、貿易における数量制限が可→不可になること)や資本の自由化(IMF14条国→8条国になり、為替の制限が可→不可になること)も進みました。

なお、神武景気や岩戸景気の時は輸入が多すぎて外貨(海外に支払うお金)が不足してしまうと同時に、国際収支の赤字が増えすぎて輸入が難しくなってしまっていました。この現象を国際収支の天井と呼びました。

 

〈③オリンピック景気〉

第3段階は「オリンピック景気」です。
1964年に東京オリンピックが開催され、公共事業の急増を中心に多くのお金が動いたことでさらに景気が良くなりました。ただし、オリンピック終了後に反動で昭和40年不況と呼ばれる不況が発生しました。(この時に、歳入不足を補うための特例国債を戦後で初めて発行しています。)

 

〈④いざなぎ景気〉

第4段階は「いざなぎ景気」です。
天照大神だけでは足りなくなり、神話のイザナギから名付けることになりました。いざなぎ景気は戦後最長の大型景気と言われています。(景気の長さだけだったら、2002年のほうが長いと言われていますが。)
この時に日本の調子が良すぎたために、日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを抜き、資本主義国中第2位になりました。

 

〈※参考:4つの景気の特徴〉

なお、神武景気と岩戸景気は「輸入中心」で日本が力をためていき、いざなぎ景気に「輸出中心」で日本のエネルギーが一気に爆発したイメージだと言われています。
神武景気と岩戸景気は様々な輸入を行って民間の設備投資が進みました。その結果、重工業が発達したと言われています。
そして、いざなぎ景気の時に重工業が一気に開花し、「重厚長大型」と呼ばれる鉄鋼や石油化学などの輸出でさらに景気がよくなったとされています。

このように、高度経済成長の時は「神武→岩戸→オリンピック→いざなぎ」と好景気が続きました。

 

ところが、1955年に開始した高度経済成長期は、1973年に終了してしまいます。なぜでしょう。

 

【高度経済成長がなぜ終わったのか:3つの理由】

経済成長が止まるということは、企業の成長が止まってしまうということです。
つまり、売上が減ったか、費用が増えたか、の問題が大きくなります。

 

〈要因①:第一次石油危機…原油価格上昇が“全部の値段”を押し上げる〉

企業の成長が止まる大きな要因の1つは「モノを作るための材料費が高すぎる」という問題です。

原材料費の高騰によって、商品の価格を高くしなければいけなくなってしまう事態は十分に想定されます。
日本は工業国なので、石油などの資源が値上がりしてしまうと商品の値段も高くなってしまいます。
実際に、第4次中東戦争という出来事をきっかけに、1973年に石油価格が上昇しました。

このときの石油価格が一気に引き上げられ、世界同時不況に向かっていったきっかけを第一次石油危機と呼びます。
第一次石油危機が1973年に発生し、高度経済成長が止まったため、高度経済成長の終了は1973年だと言われています。

(ちなみに、日本は資源不足の国なので、石油の値段などが上がってしまうとすぐに経済的に大きなダメージを受けます。そこで、日本は物的資源が無い以上、他の資源を増やそうとして昔から人的資源に力を入れています。つまり、日本は教育が重要なファクターの1つになるというわけです。)

 

〈要因②:意欲の鈍化…設備投資が効きにくくなる〉

その他の要因としては、製品を作る生産設備がある程度整ってしまっているため、新しく設備にお金をかけよう、というような投資意欲が減退したことがあげられます。

 

〈要因③:人件費の上昇…高度成長の“裏返し”〉

さらに、高度経済成長期の中で各企業は優秀な人材を確保しようと考えたときに、給料を上げて人材確保することを考えます。
そうすると給料というコストがどんどん上昇し、各企業が人材を確保することが難しくなり、労働力不足によって企業の成長が止まってしまったと言われています。

 

このように考えると、高度成長は「突然終わった」というわけではないことがわかります。

「[外からの衝撃(石油危機)]に、[国内の変化(投資が鈍る/人件費が上がる)]が重なって、経済成長の伸び方が変わった」
ととらえられます。

 

 

【高度経済成長終了の結果として何が起きた?】(狂乱物価とスタグフレーション)

〈影響①:狂乱物価〉

高度経済成長期の終了時は、石油危機なども影響して狂ったように乱れたように物価が上昇してしまいました。これを狂乱物価と呼びます。

 

〈影響②:スタグフレーション〉

さらに、本来の経済理論で考えれば「インフレ→好況」か「デフレ→不況」のどちらかになるはずですが、石油危機後はインフレ(物価上昇)の状態にもかかわらず不況が続いてしまいました。この「インフレ+不況」の状況スタグフレーションと呼びます。

 

〈影響③:戦後初のマイナス成長と2度目の赤字国債の発行〉

高度経済成長の末期は狂乱物価とスタグフレーションの2つが影響し、1974年は戦後初のマイナス成長(GDPの減少)を記録しています。

さらに、1975年には1965年に続いて2度目の赤字国債も発行しています。
(なお、赤字国債は3度目の発行にあたる1994年以降、毎年発行しています。)

それくらい、石油危機を中心とした日本経済への影響が大きかったということが分かります。

 

そして、高度経済成長を終えた日本は、急激な不景気に苦しむわけではなく、安定成長(年平均約3%)という時代に向かっていきます。

石油危機の後に、日本がどう立て直したかまで確認します。

・高度経済成長期の後の「安定成長~バブル経済」までの流れについてはこちら(戦後日本経済史③ 安定成長~バブル崩壊(1973~1990年前後))をご覧ください。

 

 

【参考:高度経済成長期のまとめ】

1.【結論】高度経済成長期で覚えるべき3点

・覚える骨組みは「高度経済成長が発生した理由」→「景気の4段階の流れ」→「高度経済成長の終わり方」
・年代は「1955〜1973」
・終点の合図は「第一次石油危機(1973)」

 

2. 伸びた理由【4つ】

・【消費革命】三種の神器→3Cなど、家計の消費が拡大
・【安価で豊富な労働力】工業生産が伸びる
・【高い貯蓄率】貯蓄→投資資金→設備投資へ回る
・【自由貿易】輸出拡大・国際分業で市場が広がる

 

3. 景気【4つ】(順番が最重要)

・神武景気 → 岩戸景気 → オリンピック景気 → いざなぎ景気

 

4. 終わった理由【3つ】

① 第一次石油危機 : 原油価格上昇→コスト増
② 投資意欲の鈍化 : 設備投資が伸びにくくなる
③ 人件費の上昇 : 賃金上昇が企業コストに

 

5. 石油危機後のキーワード【4つ】

(1) 狂乱物価 : 急激なインフレ
(2) スタグフレーション : 不況と物価上昇が同時
(3) マイナス成長 : 高度成長期の終点
(4) 2度目の赤字国債の発行

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