【政党とは】
「政党」という言葉を聞くことがあるかもしれません。政党とはなんなのでしょうか。
政党とは、「政権の獲得を目指す団体」のことです。(政権獲得を目指さない団体を圧力団体と呼びます。)
政党は政権獲得を目指してマニフェスト(政権公約)を作ります。
(ただし、マニフェストは強制ではありません。また、マニフェストは政権が作るものであり、個人が作るものではありません。)
そして、政権獲得を目指す政党は選挙の結果で与党と野党に分かれます。
【「与党」と「野党」とは】
政権獲得に成功し、内閣を作る政党を「与党」と呼びます。
内閣を作れば、行政権を担当することになり「予算の提案や政策の実行」など、様々な権限を得られるようになるため、どの政党も与党になることを目指します。
一方、政権獲得に失敗し、与党に対抗する政党を「野党」と呼びます。
そして、政治の世界では与党と野党が常に政権を狙い合う状態になります。この状態による政治を政党政治と呼びます。
では、そんな政党は全部でいくつあるのでしょうか。
【政党と政治の形態】
日本の政党は、2024年末時点で10あります。
(自由民主党/立件民主党/日本維新の会/公明党/国民民主党/日本共産党/れいわ新選組/参政党/日本保守党/社会民主党)
国によっては、大きな2つの政党が中心になって争うこともあれば、日本のように多くの政党が登場して争いあうこともあります。
大きな2つの政党での争いを「二大政党制」と呼び、3つ以上の政党が争う状態を「多党制」と呼びます。
二大政党制になると、主な政党が2つに絞られるため、選挙が分かりやすく、安定した政権の運営が可能になると言われています。
一方で、2つに国民の意見が集中するため、少数意見が埋もれ、多様性が欠ける恐れがあるとされます。
また、多党制になると、多くの政党が登場することで多様な意見が反映できたり、柔軟な政策の形成ができるようになったりします。
一方で、多党制の場合、1つの政党で過半数を取れないことがあります。そのような場合に、複数の政党で協定を結んで政権を作ることがあり、このような政権を「連立政権」と呼びます。
連立政権の場合、複数の政党の意見調整が必要であり、安定した政権運営が難しく、意思決定が遅れる懸念があるとされますが、連立政権を作ってでも与党を狙う政党が多いことを考えると、与党になって政権獲得することが、やはり政治の世界においては重要だということです。
では、日本の政党政治は、具体的にどのように展開していたのでしょうか。
【※参考:戦後の日本政治のとらえ方(前提)】
戦後の日本の政治は「保守vs革新」という対立がありました。
「保守」は右翼とも呼ばれ、伝統や国家のあり方を守ることが重要であり、特に戦前の日本の国家観や、国の自立性を重視すると考えます。
「革新」は左翼とも呼ばれ、国家よりも個人の権利や国際協調が重要であり、特に日本国憲法の平和主義を守ろうとすると考えます。
なお、戦後で保守の立場だった政党を自由党と呼び、革新の立場だった政党を日本社会党と呼びます。日本社会党の中でもより革新に寄っている側を左派と言い、保守に寄っている側を右派と言いましたが、左派と右派がくっついて日本社会党となっています。(当時は、日本共産党という政党も革新の一部として参加していました。)
また、自由党は同じく保守であった日本民主党とくっついて(これを保守合同と呼びます。)自由民主党が誕生しました。
自由民主党は戦前の日本の国家観を重視し、国の自立性を大切にするため、GHQのマッカーサー草案をベースとしている日本国憲法は改憲することで、戦前の国家観や国の自立性を実現しようと考えます。
一方で、日本社会党は個人の権利や国際協調を重視するため、それを日本国憲法で実現できる可能性があると考えると、日本国憲法を守ることを大切にします。
つまり、自由民主党の改憲を目指す保守と日本社会党の護憲を目指す革新の対立があったわけです。
これらが、戦後の日本政治の前提となります。
【戦後の日本政治の特徴】
戦後日本の政党政治は、「55年体制」と呼ばれていました。
1955年に自由民主党vs日本社会党という二大政党が中心となり、政治が展開されたために55年体制と呼ばれます。
なお、当時の日本社会党は自由民主党の半分程度しか議席がなく、自由民主党を1とした場合に日本社会党は2分の1程度しか獲得していないため、「55年体制」を別名「1と2分の1政党制」とも呼びます。
実際は、自由民主党が日本社会党の2倍の議席を確保しており、しかも二大政党制に近い状態で自由民主党のほうが議席が多かったため、実質自由民主党の一党支配が続いていました。
ところが、55年体制は93年に自民党以外の政党が連立政権を作ることで自民党に勝って終了しました。
その時の中心が細川護熙という人で、55年体制の崩壊と言われます。
なぜ崩壊してしまったのでしょうか。
それは、二大政党制というシステムが影響の1つだとされます。
二大政党制で、しかも実質自民党の一党支配が続くと、政権交代が起こることはなく、政局が安定します。(1960年代から70年代に公明党や革新自治体などが誕生して多党化が進んだために、一時的に政局が不安定になりましたが、政権交代は起こらず、基本は政権の安定が続きました。)
逆に、自民党の一党支配が続くと「自民党がなにをやってもどうせ自民党がずっと与党だろう」という思惑から政治腐敗の進行もあり得ます。(ロッキード事件やリクルート事件と呼ばれる政治関連の事件も発生しています。)実際に、政治腐敗による政治不信が高まり、1993年に自民党が負けるということになったわけです。
ただし、非自民連立政権が誕生しても、翌年すぐに自民党が復活しました。(村山富市内閣が誕生しました。)
その後は民主党という政党が誕生し、2000年以降は自由民主党と民主党の二大政党制の傾向が続きました。
そして、2009年にふたたび政権交代が発生し、自由民主党から民主党へ変わりましたが、2012年に自民党が政権を取り返し、現在は自民党が中心に戻っています。
【政党の展開(歴史)と政治資金について】
現在のような政党政治はどのようにして作られたのでしょうか。
政党の最初は名望家政党と呼ばれていました。
政党の構成員は政治家ですが、その政治家を決める時の選挙で投票できる人は、昔は財産や性別などで制限されていました。
つまり、当時の選挙で投票できたのは金持ちに限定されていたというわけです。選挙は、基本的に自分たちの生活をよりよくしてくれるであろう人に投票すると考えられるため、当時の金持ちも自分たちの生活をよりよくしてくれるであろう人に投票していました。
教養や財産がある人を名望家と呼びますが、名望家に目が向いた政党を名望家政党と呼びます。
ところが、多くの国で選挙のシステムは制限選挙から普通選挙になっていきました。要は、財産がなくても投票できるようになったわけです。当時の財産がない人の代表が労働者でした。そうすると、政治家たちは労働者のほうに目を向けるようになりました。
なぜ、普通選挙になると政治家は労働者に目を向けるようになるのでしょう。
選挙の原則の1つに平等選挙というものがあります。
これは、選挙における1票の価値は平等であるという原則です。つまり、金持ちも労働者も1票の価値に変わりはありません。
しかも、世の中のほとんどは労働者です。要は、選挙で勝とうとしたら金持ちよりも人数が多い労働者のほうに目を向けないと勝てなくなってしまったわけです。
このように、労働者という社会の大多数に目が向いた政党を大衆政党と呼びます。
なお、現代は金持ちや労働者など関係なく、できるだけ多くの有権者から票を獲得することが重要だとされています。このように、全ての人に選ばれるように広く目を向ける政党を包括政党と呼びます。
つまり、政党は「名望家政党→大衆政党→包括政党」と変化してきました。
さらに、現在は圧力団体という政権獲得を目指さない団体が政党に圧力をかけることで、圧力団体が持つ要求を実現していくということも起きています。
そのため、圧力団体によってより多くの民意を反映させられるようになっていると言われています。
ちなみに、圧力団体はどのような形で圧力をかけるのでしょうか。
基本は集票や献金です。
つまり、「あなたの政党に投票したり、お金を渡したりするから、我々の希望を通して」という発想です。
そのため、圧力団体が政党に圧力をかけると金権政治(お金の力で政治をコントロールする状態)になりやすいとも言われています。
結局、金持ちが圧力団体として政党にプレッシャーをかけると、金持ちのほうに政党が流れていくことになるわけです。
「政治家が献金という圧力に流されてしまうのはダメなのでは?」という考えもあるかもしれませんが、現状政治家も活動をするのにお金が必要だということです。
そこで、政治のお金に関しては法律を作ることで対応してきました。作られた法律は大きく2つです。
1つは、政治資金規制法の改正です。
政治家は活動するのにどうしても費用がかかります。ただし、政治家が隠れてお金をもらったことになるとワイロや裏金など、大きな問題に発展することも考えられます。
そこで、政治家個人は1人ずつ資金管理団体というものを作り、そこで政治献金を管理して公表することになりました。つまり、政治献金に関する透明性を確保しようとするということです。
そのため、政治家個人への献金は資金管理団体に送ることになります。このように資金管理団体に送るルールができたため、逆をかえすと、直接個人への献金はダメだということです。
ただし、資金管理団体にお金を送るのは個人のみOKで、企業が資金管理団体あてに献金をすることはダメだとされています。
それは、政治家個人に企業が献金してしまうと、政治家個人がその企業のために活動するおそれがあるからです。
政治は特定の個人のためのシステムではなく、社会の様々な人達が関わるものです。
そのため、個人よりももっと幅広い視点で活動する代表である政党の場合は、企業からの献金を受け取ってもよいことになっています。
まとめると、政治家は1人ずつ資金管理団体を作って政治献金を公表するため、個人への献金は直接個人ではなく資金管理団体に送ること、企業は資金管理団体あてに献金するのがダメだが、政党あての献金はOKであることになります。
そしてもう1つは、政党助成法です。
政党の活動資金を税金でサポートすることになっていますが、あくまでも政党の活動を助成するのが目的となっています。(なお、政党交付金は「日本の人口×250円」が助成されることになっています。)
ちなみに、金銭面を含めた政治改革として、政治資金規正法と政党助成法の他に、公職選挙法の改正(衆議院議員選挙に小選挙区比例代表並立制を導入)と衆議院議員選挙区確定審議会設置法の導入(衆議院での新たな選挙区の区割りづくりを目指す)をまとめて政治改革関連四法と呼ぶことがあります。
(この政治改革関連四法を導入したのは55年体制が崩壊した時の細川護熙首相のときでした。)
政治とカネの問題は定期的に話題にあがりますが、政治とカネの関わりはどのように考えていくのが良いのでしょうか。