【日本の農業の人口】
現在、日本の農業人口は約175万人と言われています。これは、人口全体の約2%弱、就業者数全体の約3%とされています。
また、農家数や専業農家(農業だけで収入を得る農家)も減少傾向にあります。(割合で見ると、専業農家が減少し、兼業農家(農業以外からも収入を得ている農家)が増加していますが、農業従事者自体は減少傾向が続いています。)
ちなみに、約175万人のうち、65歳以上(高齢者)の農業人口は約120万人と言われています。ポイントは、65歳未満の農業人口が約55万人しかいないくらい、農業の高齢化が進んでいるという事実です。
【日本の農業の考え方(対立)】
日本の食料自給率(カロリーベース)は現在は、約38%と言われています。ポイントは、①この数値が他の先進国より低いということ(アメリカ:132%/フランス:125%など) / ②残りの60%以上は他国からの輸入に頼っているということの2点です。
この現状に対して、2つの考え方が登場しました。
1つは、食料自給率が低いのは良くないので、食料自給率を上げて自分達で賄っていくことが大切だという発想です。この考え方を食料安全保障論と呼びます。つまり、日本は農業を保護すべきという考え方が出てきました。
もう1つは、食料自給率は決して高めることだけにとらわれず、食料自給率が下がったとしても、もっと農業の流通や貿易を促進して競争原理を働かせてよいのではないかという発想です。つまり、日本は農業を自由化すべきという考え方も出てきました。
【日本の農業の変遷】
日本の農業は、戦後から「一貫して保護していた」のが特徴です。
前提は、農業基本法(1961年制定)です。この法律では、2つの目標が設定されました。
①は農工間格差の改善です。当時の日本は給料面などで農業よりも工業のほうが圧倒的に良く、農業と工業との間で格差がありました。ただし、日本は農業も重要だと考え、農業だけで工業に負けないくらい十分に収入を得られる人達を育てようと考えました。この発想が2つ目の目標である②自立経営農家の育成と呼ばれるものです。
日本は、2つの目標の達成のために、国の補助金の注入などを行って機械化などを進め、生産効率の向上などを狙っていきました。
その結果、①について農工間格差は拡大し、②について農家は兼業が進みました。つまり、①も②も成功しなかったというわけです。
これは、時代背景が影響しています。農業基本法が制定された1961年は高度経済成長期です。実は、当時の日本の努力で農業も所得が増えていました。しかし、高度経済成長期の中心は工業です。そのため、農業の立て直しを図ろうとしても、結局は農業以上に工業の所得が増えてしまい、結果的に農工間格差が拡大してしまいました。
しかし、日本はまだ諦めていません。なんとか、自立経営農家を育てようと考えました。
そこで、当時の日本が出した結論は「日本の食糧を日本政府が管理してしまう」です。ここでいう食糧はコメだと思って下さい。(食糧と食料は意味が異なります。食糧は主食を、食料は食品全てを指します。)
例えば、お米を生産者が100円で作り120円で販売して20円の利益が出るとします。(この時の販売価格を生産者米価と言います。)一方で、消費者が90円でないとお米を買えないとした場合、生産者はお米が売れず、消費者はお米が買えず、お互いにソンをします。(この時の消費者が買う価格を消費者米価と呼びます。)生産者が90円まで価格を下げると、生産者がソンしてしまいますし、120円で販売すると消費者がソンになります。
そのため、生産者も販売者もソンをしないように、日本政府が以下の結論を出しました。
まず、生産者が120円で販売して利益が出せるなら、政府が120円で生産者から買います。そして、政府が消費者に90円で売ります。そうすると、生産者も消費者もトクしますね。つまり、政府が「生産者米価>消費者米価」の状況を作ってしまう、という結論を出したわけです。この制度のことを食糧管理制度と呼びます。
この制度によって、2つのことが起きました。
1つは、日本政府の赤字の拡大です。120円で買って、90円で売ったら30円の赤字ですね。でも、生産者と消費者がお互いにトクするならと常に30円の赤字を出し続けるという状態を維持していました。
もう1つは、コメ余りです。農家は消費者米価よりも高い価格で買ってもらえるならとお米をどんどん政府に販売するわけです。そのため、生産過剰の状態になりました。
つまり、食糧管理制度で日本の農業の保護をしすぎたわけです。
そこで、今度は日本政府が「コメを作るのをやめたり、コメ以外の作物を作ったりしたら農家に補助金を出す」という戦略に切り替えました。このような政策を減反政策と呼びます。
【日本農業の近年の動き】
まず、国際面ではGATTウルグアイラウンドの開始が見られました。GATTとは「貿易と関税に関する世界共通のルール」のこと、ラウンドとは「交渉」のことです。つまり、ウルグアイで行われた貿易と関税に関する世界共通のルールの交渉をGATTウルグアイラウンドと呼びます。
この交渉の結果、コメの部分開放(一部だけ貿易を行なうこと)が行われ、日本は関税化を容認しました。輸入する農産物に税金をかけることで日本の農業を守ろうとしました。
この話の最大のポイントは、「関税化の容認で日本の農家を守れてよかったね」ではなく、「関税化の容認をする前は輸入自体をしていなかった」です。本当は輸入する必要がなかったのに、部分開放を受け入れることで輸入する必要が出てきてしまったということです。
さらに、部分開放の際にGATTウルグアイラウンドではミニマムアクセス(最低輸入義務)を設定しました。ただし、結果的にミニマムアクセスは消滅してしまい、お米の自由化が進んだとされています。
次に、国内のポイントは法律に注目することです。日本は食糧管理制度をやめて、新食糧法(食糧需給価格安定法)を制定しました。これによって、農業の流通や価格の面で自由化が進みました。
また、GATTウルグアイラウンドの影響を受けて、農業基本法を改正し、食料・農業・農村基本法(新農業基本法)を制定することで、食料の安定供給を目指すようになりました。つまり、この法律によって農業の立て直しを図ろうとしました。
さらに、農村の振興のために農村の多面的機能(自然環境の保全や景観の形成など)を活用することなども考えられました。
そして、農地法を改正し、農地の有効利用と企業の参入を促しました。
なお、近年では6次産業化の進展と呼ばれる、第1次産業と第2次産業と第3次産業の組み合わせの進展などにより、地元の農産物の活用や、農家の民泊、体験農園など、新しい形で農業が展開されています。