5-3. 戦後日本経済史① : 経済の自立化(1945〜1955)【三大改革→復興→高度成長へ】

戦後日本経済を理解するスタートは「経済の自立化」という考え方ですが、

そもそも「経済の自立化」とはなんなのでしょうか。

 

それは、日本だけでやっていける体制を作ることです。

 

戦後すぐの日本はボロボロの状態だったので、自分たちだけでなんとかしていくということができませんでした。
簡単に言うと、誰かに頼る必要が出てきていたということです。

そこで、誰かに頼らなくても国がやっていける状態にすることを考えました。
つまり、他の国に頼らない状態を作ることを目指したわけです。その流れが2段階で考えられました。

 

戦後日本経済史の最初(1945〜1955)は、用語が多くてゴチャつきやすい部分ですが、
「2段階」+「因果(なぜそうしたか)」で整理すると、一気にスッキリします。

このページでは、
戦後すぐを「戦争の芽をつぶす”戦後経済民主化”→復興して自立を目指す”戦後復興”」の2段階でとらえ、戦後日本経済に関連する用語を整理します。

そして、高度経済成長期までの流れについて、入試で説明できる形に整えます。

 

【戦後経済民主化】GHQが最初にやった「戦争要因の除去」

第二次世界大戦後の日本は、何もない本当の焼け野原の状態です。

そんな焼け野原の状況で日本という国がが最初にするべきことはなんなのでしょうか。

 

当時の日本について考えたのがGHQ(連合国軍総司令部)と呼ばれる機関ですが、GHQが考えたことは大きく2つです。

 

〈GHQの狙いは2つ:戦争要因の除去/成長の基盤づくり〉

1つは、「戦争の要因を除去すること」です。
二度と戦争を引き起こさないという状況を作り、当時の人々が前向きな気持ちを持つことが復興を目指す気持ちとなり、実際に復興へ向かっていくことにつながると考えられます。

もう1つは、「経済成長の基盤を作ること」です。
戦争要因を除去した後に、日本が実際に復興できるように準備をしていこう、ということになるわけです。

つまり、戦後すぐの日本は「戦争を引き起こす要因をなくし、経済成長する準備をする」ということが考えられました。

 

では、戦争が発生する(戦争を引き起こしてしまう)要因は何が考えられるでしょうか。

 

〈三大改革① 財閥解体:独占を止めて戦争の火種を消す〉

歴史が得意な人は多くの要因がすぐに思いつくかもしれませんが、大きな要因の1つに「戦争は儲かる」という発想があげられます。
「自分の国ではもう商品が売れないから、他の国に商品を買ってもらうために戦争をしかけよう」とか「自分の国にお金がないなら、他の国と戦争して奪えばいいじゃない」とか、そんな発想もあるわけです。

そんな発想を持てるくらいのお金を保有し、銀行を含めた企業のつながりを持っている一族を「財閥」と呼びます。この財閥が「もっとお金を稼ぐために戦争をしよう」となったとしたら、財閥をなくすことが戦争の要因を取り除くことにつながるのではないか、と考えたわけです。

この、財閥をなくそうという動きを財閥解体と呼びます。財閥解体が戦争要因除去につながるわけですね。

 

ちなみに、財閥を作らないようにするにはどうすればよいのでしょうか。

それは、財閥に市場を独占させないことです。財閥が市場を独占すると、その財閥はさらに成長を続け、海外への市場を求めて他国へ戦争をしかけるという流れにつながる懸念が出てきます。(戦前の日本と同じ動きをもう一度起こしてしまう心配があるというわけです。)

そのため、財閥には独占させない必要があります。そこで、財閥解体の考え方に合わせて独占禁止法という法律が誕生しました。

▶ 独占禁止法は、「独占=市場の失敗」という経済分野の頻出テーマと直結します。独占や市場の失敗について確認したい方は、こちら(需要と供給だけじゃ足りない!市場の失敗の4パターンを理解する(ビジネスの世界で考える視点))をご覧下さい。

 

 

〈三大改革② 農地改革:地主と小作の関係を変えて生産力へ〉

また、農業面に注目すると、当時は地主(土地を貸す人)と小作人(地主から土地を借りて、その土地で農作物を作る人)という関係の人達がいました。

小作人は、作った農作物の一部を販売し、お金の一部を地主に貸すしくみがありました。
そのため、地主は小作人に土地を貸す代金でお金を稼いでいました。
ちなみに、小作人は儲けが非常に少なく、苦しい生活をしている人達が圧倒的でした。
そんな小作人に土地をあげてしまい、小作人が自分達で稼げる状態にしておけば、地代を継続的に地主に払う必要もなく、経済復興につながるのではないか、と考えるようになりました。この一連の流れを農地改革と呼びます。

▶ 農地改革は「戦後の一回きりの話」ではなく、その後の農業構造にもつながります。農業の歴史について確認したい方はこちら(これからの日本の農業はどうあるべきなのか(日本の農業の変遷と現状))をご覧ください。

 

〈三大改革③ 労働組合の育成:労使が対等に話せる土台づくり〉

さらに、戦争をしかけようと考えるのは財閥だけではありません。

日本国内で働く労働者の賃金が安く、生活出来ない場合に、戦前のように海外侵略を考える労働者が出てくることが考えられます。
ただし、GHQが強引に給料の引き上げを実施すると、今度は企業側が苦しくなり、企業側が海外侵略を考えるかもしれません。

そこで、GHQは企業側と労働者が話し合って賃金などを決めていけるのが良いのではないか、と考えて労働者が団結して企業側と対等に話ができる環境整備を行いました。これを「労働組合の育成」と呼びます。
労働組合を育成し、話ができるようになることで戦争要因を1つ取り除くことができると考えます。

 

〈結局、三大改革とはなんだったのか〉

このように、GHQは「財閥解体」「農地改革」「労働組合の育成」の3大改革によって、戦争要因を取り除き、経済成長の準備を行い、戦後経済の民主化を進めました。

つまり、戦後すぐの三大改革は「復興」そのものというよりも、「復興できる国・戦争を起こしにくい社会」を作るための様々な工夫だった、と考えることができます。

次は、いよいよ「どうやって経済を回したか(戦後復興)」に進みます。

 

 

【戦後復興】: 復興のアクセル:傾斜生産方式→安定化政策→特需

改革で土台を整えたとしても、工場が動き、モノが作れ、生活が回らなければ復興とは言えません。
そこで当時の日本が選んだのが、「全部に少しずつ」ではなく「一点集中で立て直す」発想でした。
これが傾斜生産方式です。

 

〈傾斜生産方式:なぜ「工業に集中投資」だったのか〉

復興の準備が整った日本は、実際に復興へ向けての準備を始めました。

特に日本が注力したのが「傾斜生産方式」です。

 

1つ、以下の例を考えましょう。

あなたが国のリーダーで100万円を持っているとしたときに、以下のA~Dの4つの産業にいくらずつ使うと考えますか。

【 選択肢 : A教育 / B工業 / C農業 / Dサービス業 】

 

このような場合、基本となる考え方は「分散して成長させず、1つの産業に集中投資して成長させる」というものです。モノカルチャー経済などが代表ですが、余裕がない国や地域ほど、(どの政策であれ)どれか1つに全額を投資することが効率的だとされます。この考え方を傾斜生産方式と呼びます。
当時の日本は、工業に全投資を行い、高度経済成長へ向かっていきます。

 

〈復興金融金庫と復金インフレ:「資金供給→物価上昇」の因果〉

ただし、傾斜生産方式を実現するためにはどうしても資金が必要です。

そこで、復興金融金庫というところからお金を借りることで資金調達をしました。
経済の原則として、世の中にお金が出回ればインフレが進行します。実際に当時もインフレが進行しました。

この時のインフレを「復興金融金からお金を借りたことによって発生したインフレ」なので復金インフレと呼びます。

 

〈ガリオア・エロア資金:救済と復興の違い〉

また、当時はガリオア・エロア資金をアメリカから受けていました。

ガリオア・エロア資金とは、アメリカが戦後に占領地域へ対して実施した資金援助のことを指します。

ガリオア資金は占領地域の救済を、エロア資金は占領地域の復興を目的として援助していたとされます。

 

〈経済安定9原則(ドッジ・ラインとシャウプ勧告)〉

さらに、GHQは日本経済が自立することを目的に「経済安定9原則」と呼ばれるものを実施しました。
この9原則をコントロールしたのが、GHQの経済顧問だったドッジという人だったので、経済安定9原則の具体的な内容をドッジ・ラインと呼びます。

ドッジ・ラインによって、1ドル=360円の単一為替レートが作られたり、超均衡財政と呼ばれるくらい、支出を厳しく減らす財政が行われたりしました。

さらに、ドッジ・ラインに沿ってシャウプさんという人によるシャウプ勧告も出されました。シャウプ勧告によって、日本は直接税中心になりました。

 

〈朝鮮特需:外需が入って「高度成長の入口」に火がつく〉

さらに、幸か不幸か、海外で朝鮮戦争が発生し、傾斜生産方式で作った工業製品が朝鮮戦争で売れるようになり、一気に儲かりました。

 

これらのように、「傾斜生産方式」「経済安定9原則」「朝鮮特需」と様々な要因が絡まって、空前の好景気を迎えることになりました。この景気のことを高度経済成長期と呼びます。

 

では、具体的に、「高度経済成長期」とはどのような時代だったのでしょうか。

▶戦後日本経済の「高度経済成長期の歴史」については、こちら(戦後日本経済史② 高度経済成長期(1955~1973))をご覧ください。

参考:講義編の内容の簡単まとめ

 

1. 経済の自立化とは

・戦後の日本が目指したのは、**他国の支援に頼り切らずに経済が回る状態(自立)**を作ること。
・流れは 【戦後経済民主化】→【戦後復興】 の2段階で覚えると整理しやすい。

2. 戦後経済民主化(GHQの目的/三大改革)

〇GHQが考えた大枠は2つ
・戦争の要因を除去する
・経済成長の基盤を作る

〇三大改革(戦争の火種を減らし、成長の土台を作る)
 ・財閥解体:財閥の力を弱め、独占が進みにくい方向へ(独占禁止法とも関係)
 ・農地改革:地主→小作の構造を変え、農業の生産・生活を安定させる
 ・労働組合の育成:労使が話し合える環境を整える

3. 戦後復興(傾斜生産方式→インフレ→安定化政策→特需)

・傾斜生産方式:分散ではなく集中投資(当時は工業へ)
・復興金融金庫からの資金供給 → 市中にお金が出回る → 復金インフレ
・ガリオア・エロア資金:占領地域への援助(救済/復興)
・経済安定9原則(ドッジ・ライン)
→1ドル=360円の単一為替レート
→超均衡財政(支出を強く絞る)
・シャウプ勧告:直接税中心へ
・朝鮮特需:工業製品が売れて景気が一気に良くなり、高度成長の入口へ

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