市民革命で王様から自由を勝ち取った人々は、自由を勝ち取った後にあるモヤモヤを抱えていました。
そこで人々は、モヤモヤを解消するために「国に何をしてほしいのか」を、改めて考え始めました。
さらに、その自由を守るための法律をつくるときに絶対守らないといけない「3つの前提」も意識されるようになりました。
この記事では、
・市民革命後の人々が、国にどんな3つの自由を求めたのか、
・「法の支配・立憲主義・自然権と基本的人権の遵守」という法律の3つの前提がなにか
について、日常の「窮屈さ」からイメージしながら整理していきます。
【社会契約説のあと、人々は何を話し合ったのか(自由権→参政権→社会権)】
日常の「窮屈さ」から考える自由のイメージ
絶対王政から市民革命を経て展開された社会契約説によって「話し合いで政治のルールを決める」という考え方が生まれました。
では、人々は具体的に何について話し合い、国に何を求めるようになったのでしょうか。
社会契約説が中心の世の中になって、話し合われた内容は「自由について」です。
絶対王政の時代は王様に全てコントロールされていたため、人々に自由がありませんでした。
そのため、絶対王政が終わって自由を獲得した今こそ、自由について話し合おうというわけです。
では、「自由」について話し合うとは、具体的にどういうことなのでしょうか。
「自由」の話し合いを理解するために、以下の質問を考えます。
自由の反対を「窮屈」と言いますが、人々が学校生活や職場などで窮屈だと感じる瞬間はなにがあるでしょうか。
そして、その窮屈はどのようにしていけば解消できるのでしょうか。
自由権=国家からの自由を求める権利
学校や職場で窮屈だと感じることはたくさんあるかもしれませんが、その窮屈を解消する一番簡単な方法は「その場から逃げる」です。
自らその場から逃げて学校や職場に縛られなければいいわけです。
国を例に考えれば、国に存在する様々なルールに縛られることなく自由になっていきましょう!という発想です。
そのため、国家からの自由を実現することで窮屈から脱出できるということになります。この、「国家からの自由」を獲得した権利を自由権と呼びます。
つまり、まず最初に求められたのは、「国家から自分を離して、干渉されない自由」でした。
参政権=国家に参加して意見を届ける権利
ただし、「その場から逃げた」としても課題は山積です。
学校や職場から逃げた後の生活はどうすればいいのでしょうか。
つまり、自由権を獲得しても学校に通っていない、職場から逃げて仕事をしていない、という状況になってしまうと、その人自身の生活が成立しないという問題が生じます。
そこで、学校や職場から離れるのではなく、学校や職場で自分の意見を言える状態に持って行き、意見を言うことで自由を獲得していくことが必要だという発想が考えられます。
では、国に対してはどうやって意見を言えばいいのでしょうか。
当時考えられた、国に対して自分の意見を言う方法が「政治への参加」です。
具体的には「選挙」への参加です。つまり、選挙での投票という形で自分の意見を代弁してくれる議員を応援することで国に意見を言って、自由を獲得しようとしたわけです。
このように、選挙を通して政治へ参加する権利を参政権と呼びます。
選挙を通して「国家への自由」を主張するという形ですね。
つまり、自由権の次に「国家の決定に参加して、自分の意見を反映させる自由」が求められました。
社会権=国家に自由を実現してもらう権利
ただし、選挙を通して意見を主張したところで、その意見が実際に通るかどうかはわかりません。
そこで、主張した意見を実際に国に実施してもらうことが重要ですね。
国に自由を実現してもらう権利を社会権と呼びます。国家による自由とも表現されます。
(初の社会権の導入は1919年:ドイツのワイマール憲法だとされます。)
つまり、参政権の後は「国家に自分たちの自由を“実現してもらう”自由」が求められました。
このように考えていくと、
自由権=国家から離れる自由
参政権=国家に参加して意見を届ける自由
社会権=国家に自由を実現してもらう自由
ということがわかります。
ポイントは、自由権→参政権→社会権の順で、個人と国家の関わりが大きくなっていった、という点です。
では、社会権を前提とした場合、国に具体的にどのように窮屈を解決してもらうのでしょうか。
国に窮屈を解消してもらうための、現状の方法は「法律を作る」です。
様々な法律の制定によって、窮屈を解消していこうという話です。
ただし、どのような法律を作るかは、様々な考えがあると思いますが、法律を作る際には3つの前提をクリアする必要があるとされます。
【法律の3つの前提とは何か(法の支配/立憲主義/自然権と基本的人権)】
法の支配と法治主義の違い
法律の3つの前提のうち、1つは「法の支配」です。
(エドワードコークという人が「コモン・ロー」という言葉で表現しました。)
法の支配とは、「政治権力を法で縛る」という意味です。
大事なのは「法律で国民を縛る」のではなく、「国民の自由と権利を擁護するために法で権力を縛る」という点です。
憲法などはまさしくこの発想で動いているため、国会議員や公務員などは憲法を尊重する義務があるとされています。
ちなみに、法の支配の対義語に「人の支配」という言葉があります。
これは、「権力者が法に縛られない」という発想です。
もっと単純に言うと「王様が国民を縛る」という意味です。
なお、法治主義という言葉もあります。法の支配と若干異なりますが、「行政を法律でコントロールするが、法の内容は問われない」のが法治主義の特徴だとされます。
(法の支配は国を縛り、法治主義は国民を縛る、という違いです。(行政は法律を作ることで国民を縛っているわけです。))
立憲主義――憲法で国家の権力を縛る
2つめの前提は「立憲主義」です。
政治は憲法に基づいて行われる、という意味です。
もう少し具体的に表現すると「国家が権力を使うときは憲法で制限される」と思ってください。
「国家が使える権力」とは、法律の制定のことです。
つまり、人々が作る法律は憲法を超えてはならない、ということですね。
自然権と基本的人権――どんな法律でも超えてはいけないライン
そして、3つめは「自然権と基本的人権の遵守」です。
自然権は「人のものを盗んではいけない」など、人が生まれながらに持つ権利を指します。
また、基本的人権は「財産権の保障」や「職業選択の自由」など、人間にとって必ず必要とされる基本的な権利を指します。
当然ですが、これらのような、個人の人権について不当に制限するような法律は(民主的な決定であっても)ダメだとされています。
なお、日本国憲法では、この自然権の考え方を具体的な条文という形で保障したものが、基本的人権だと考えられています。
「法の支配」(法律が国家を縛ること)と「立憲主義」(憲法の範囲内で政治が行なわれること)と「自然権と基本的人権の遵守」(個人の人権を不当に制限しないこと)の3つを前提とすると、どのような法律を作ることで人々の自由を実現させることができるのでしょうか。
【あわせて読みたい】
【※参考:権利の3つと法律の3つの前提の再整理】
〈権利の3つ〉
① 自由権 … 国家から離れて干渉されない自由(国家からの自由)
② 参政権 … 国家の決定に参加して意見を届ける自由(国家への自由)
③ 社会権 … 国家に自由を実現してもらう自由(国家による自由)
〈法律の3つの前提〉
① 法の支配 … 法律で権力(国家)を縛り、国民の自由と権利を守る
② 立憲主義 … 憲法の範囲内で政治を行い、法律は憲法を超えられない
③ 自然権と基本的人権の遵守 … どんな法律でも、個人の人権を不当に制限してはならない