3-3. やはり物事は「結果」が全てなのか(「功利主義」の考え方)

【功利主義を考える前提(トロッコ問題の確認)】

AIによる自動運転タクシー(運転手を含めて4人乗客)があるとします。このタクシーのブレーキが壊れたため、このままだと崖から落ちてしまいますが、落ちないようにすると1人をひいてしまうことが分かりました。

このときに、どのように自動運転タクシーに判断させるのがよいのでしょうか。

「そのまま崖から落ちる」のと「1人を犠牲にする」のどちらを選択させるでしょうか。

 

【功利主義とは】

物事の考え方の1つに「功利主義」という考え方があります。

この考え方の中心は「結果の重視」という点です。

物事を選択する時に「結果を重視するのか、動機を重視するのか」という対立が出てきたとしたら、結果を重視するのが功利主義だと思って下さい。
(功利主義によって良い結果を生み出す考え方を「帰結主義」と言い、カントのように動機を中心としたあらゆる人にあてはまる行動原則を「義務論」と言います。)

そして、功利主義で有名な人は大きく2人です。

 

【功利主義①:ベンサム】

ベンサムという人は功利主義を考えるにあたり、4つのことを前提としました。

1つめは「幸福=快楽/不幸=苦痛」であるという前提です。

2つめは「幸福は計算可能」であるという前提です。
(そのため、ベンサムの考え方による功利主義を「量的功利主義」と呼びます。)

3つめは「快楽の追求を積極的に肯定する」という前提です。

4つめは「地位などは関係なく、万人は平等である」という前提です。

 

この4つの考え方を前提に、ベンサムは「最大多数の最大幸福」という考え方を提唱しました。

これは、単純に4つの前提をもとにより多くの人がより多くの幸福を享受できることが大切だとする考え方を指します。

これらを踏まえると、ベンサムはAIタクシーに対して「1人を犠牲にする」という選択が考えられます。(犠牲になる人数が少なくて済むため。数の論理でいけば、1人を犠牲にするべきであると考えました。)

 

〈※参考:4つの制裁(サンクション)〉
ベンサムは「最大多数の最大幸福」を実現するにあたり、4つの制裁(サンクション)が重要であるとしました。(制裁があるから最大多数の最大幸福を目指し、制裁を避けるようにすることで、結果的に「最大多数の最大幸福」につながると考えました。)

制裁(サンクション)の1つめは自然的制裁です。「自然に苦痛が生じることに由来する制裁」です。

制裁(サンクション)の2つめは法律的制裁です。「刑罰などで苦痛が生じることに由来する制裁」です。(ベンサムは、法律的制裁を特に重視しました。)

制裁(サンクション)の3つめは道徳的制裁です。「社会からの評価に由来する制裁」です。

制裁(サンクション)の4つめは宗教的制裁です。「神から与えられる制裁」です。

 

【功利主義②:ミル】

自動運転タクシーの選択肢を少し変えてみましょう。

犠牲になる予定の1人が彼氏・彼女や友人などの大切な人だったら、AとBのどちらを選択するでしょうか。

 

功利主義の2人目はミルという人です。

ベンサムが「量的功利主義」なのに対して、ミルが「質的功利主義」を考えました。

簡単に言うと「精神的快楽の重視」です。

つまり、「最大多数の最大幸福」の中で、快楽の質的差異に注目しました。
その際、人間の良心(利他的な感情)を重視することで社会の幸福を実現できるとしました。

なお、質的功利主義を実現する際には、他者危害原則他者への加害行為のみ、個人の自由を制限可能)を重視しました。
逆に考えれば、他者への加害行為以外では個人の自由を制限できないということです。それだけ、個人の自由を尊重しているというのが分かります。

 

これらを踏まえると、ミルは自動運転タクシーに対して、「精神的快楽が高い方の選択肢を選ぶ」ということが予想されます。

 

はたして、動機説と功利主義のどちらが大事なのでしょうか。

 

【※参考:プラグマティズム】

アメリカで発達した考え方にプラグマティズムというのがあります。

プラグマティズムは、別名を「実用主義」とも呼び、実際に役立つ創造的な知性(思考力や判断力)を重視しています。
つまり、「その学びが使えるか」が重要だということになります。

プラグマティズムの代表的な人物は全部で3人です。

 

1人目はパースという人です。

パースは「実際に行動した結果の効果を検討することが重要」だとしました。
つまり、その学びに意味があるかどうかをちゃんと検証するべきだという発想です。

 

2人目はジェームズという人です。

ジェームズは「有用性が重要」であると考えました。
つまり、その行動に意味があればどっちでもいいと考えたわけです。

 

3人目はデューイという人です。

デューイは「知性は道具である」と考えました。
人々が学校や社会など、様々な場面で学習してきた内容は、人生において道具として利用できるとしたわけです。そのため、デューイの考え方を「道具主義」と言います。
そして、デューイは知性という道具を使うことができるような教育が重要であると考え、教育を重視しました。

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