8-4.【要点まとめ】 戦後国際経済の枠組みとその変化について

【戦後の国際経済体制(IMF―GATT体制)】

第二次世界大戦後の世界は、様々なしくみや考え方で第3次世界大戦を引き起こす経済的要因をなくそうと考えました。そのしくみや考え方を導入した体制をIMF―GATT体制と呼びます。

IMF―GATT体制では、2つの制度設計を行いました。1つは国際通貨・金融の制度設計です。(背景にはブレトンウッズ協定というのがあります。)もう1つは自由貿易の制度設計です。

 

IMF-GATT体制では、国際通貨・金融の制度は「2つの機関の設立」に注目します。1つは「お金が足りない状況を作らない」です。世界各国はお金が足りないので他国からお金を奪うために戦争を行うことが想定されます。そこで、短期で融資して一時的にでもお金が足りない状況を解消しようと考えました。この機関をIMF(国際通貨基金)と呼びます。

なお、IMFは世界各国で戦争を引き起こす経済的要因として、お金の価値の変動にも注目しています。お金の価値が変わって、自国の経済が悪くなってしまうと経済的に不安定になり、戦争に向かうことが考えられます。そこで、お金の価値を固定してしまい、お金の価値の変動を考えなくても良い状況を作りました。このしくみを固定為替相場制(金ドル本位制)と呼びます。

 

そして、もう1つは「自立して稼げる国にできるようにするための援助」です。つまり、最終的には誰からもお金を出させず、自分でやっていける状況をつくる必要が出てきます。そのために考えられたのが「長期でお金を融資しつづける」という発想です。この考え方に基づいて設立された機関をIBRD(世界銀行)と呼びます。IBRDでは「戦後&途上国の復興」が考えられました。

 

また、IMF―GATT体制のもう1つの柱である自由貿易の制度設計については、「GATT(関税と貿易に関する一般協定)」が制定されました。GATTでは、貿易に関するルールを明確にすることで、保護貿易にならないよう、自由貿易を推奨していきました。そして、自由貿易では三原則が提唱されました。

GATTで提唱された三原則の1つめは「自由」であることです。

三原則の2つめは「無差別」であることです。貿易の際に、ある国だけを特別に優遇すると、結果的に保護につながってしまうという懸念ですね。ちなみに、無差別には「最恵国待遇」の考え方があります。貿易の際に一番良い対応をした貿易のルールを他国にも適用するので、最恵国待遇と呼びます。

三原則の3つめは「多角」であることです。いろんな国と貿易を行うことを「多角」と表現します。そのためには多くの国々が話し合う必要があり、この話し合いを「ラウンド交渉」と呼びます。

 

このように、「国際経済・金融」と「自由貿易」という2つの側面から戦争の経済的要因を取り除いていこうと考えました。しかし、固定為替相場制の崩壊によって、「国際経済・金融」の側面が崩壊する展開となりました。

 

【固定為替相場制の崩壊】

世界経済のシステムはアメリカに注目する」という原則にもとづいて、アメリカの動きを確認しましょう。アメリカは、「貿易赤字」と「財政赤字」という、いわゆる「双子の赤字」を抱えることになりました。(ちなみに、双子の赤字を生み出した大きな要因の1つはベトナム戦争だと言われています。)双子の赤字で国際収支が悪化し、金ドル本位制の維持が難しくなってきました。(「金の量<ドル」の状態になり、金が足りない事態となりました。この状態を「ドル危機」と呼びます。)ただし、アメリカはできるだけ固定為替相場制(金ドル本位制)を維持したいと考えました。そこで、アメリカは「固定為替相場制が維持できないのなら、いったん放棄しよう」と考え、当時のアメリカ大統領のニクソンさんは金とドルの交換停止を発表しました。この動きをニクソンショックと呼びます。

そして、ニクソンショックで時間を稼いでいるうちに、固定為替相場制を再構築しようと考え、多くの国の大蔵大臣が集まって話し合い、スミソニアン協定を締結しました。

ただし、ニクソンショックで金ドル交換を停止し、スミソニアン協定で固定為替相場制の再構築を目指しましたが、結果的には失敗しました。そこで、アメリカは諦めて変動為替相場制にすることを承認しました。この承認をジャマイカのキングストンで行ったので、キングストン合意と呼びます。

 

このように、ベトナム戦争を中心とした双子の赤字によってドル危機が発生し、ニクソンショック → スミソニアン協定 → キングストン合意 を経て、現在の変動為替相場制に世界が変更していきました。

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