【戦後経済民主化】
当時の日本について考えたのがGHQ(連合国軍総司令部)と呼ばれる機関ですが、GHQが考えたことは大きく2つです。
1つは、「戦争の要因を除去すること」です。二度と戦争を引き起こさないという状況を作り、当時の人々が前向きな気持ちを持つことが実際に復興へ向かっていくことにつながると考えられます。
もう1つは、「経済成長の基盤を作ること」です。戦争要因を除去した後に、日本が実際に復興できるように準備をしていこう、ということになるわけです。
つまり、戦後すぐの日本は「戦争を引き起こす要因をなくし、経済成長する準備をする」ということが考えられました。
また、戦争発生の大きな要因の1つに「戦争は儲かる」という発想があげられます。そんな発想を持てるくらいのお金を保有し、銀行を含めた企業のつながりを持っている一族を「財閥」と呼びます。この財閥が「もっとお金を稼ぐために戦争をしよう」となったとしたら、財閥をなくすことが戦争の要因を取り除くことにつながるのではないか、と考えたわけです。
この、財閥をなくそうという動きを財閥解体と呼びます。財閥解体が戦争要因除去につながるわけですね。その際、財閥解体の考え方に合わせて独占禁止法が誕生しました。
また、農業面に注目すると、当時は地主(土地を貸す人)と小作人(地主から土地を借りて、その土地で農作物を作る人)という関係の人達がいました。そこで、小作人に土地をあげてしまい、小作人が自分達で稼げる状態にしておけば、地代を継続的に地主に払う必要もなく、経済復興につながるのではないか、と考えるようになりました。この一連の流れを農地改革と呼びます。
さらに、日本国内で働く労働者の賃金が安く、生活出来ない場合に、戦前のように海外侵略を考える労働者が出てくることが考えられます。ただし、GHQが強引に給料の引き上げを実施すると、今度は企業側が苦しくなり、企業側が海外侵略を考えるかもしれません。そこで、GHQは企業側と労働者が話し合って賃金などを決めていけるのが良いのではないか、と考えて労働者が団結して企業側と対等に話ができる環境整備を行いました。これを「労働組合の育成」と呼びます。労働組合を育成し、話ができるようになることで戦争要因を1つ取り除くことができると考えます。
このように、GHQは「財閥解体」「農地改革」「労働組合の育成」の3大改革によって、戦争要因を取り除き、経済成長の準備を行い、戦後経済の民主化を進めました。
【戦後復興】
復興の準備が整った日本は、実際に復興へ向けての準備を始めました。
特に日本が注力したのが「傾斜生産方式」です。基本となる考え方は「分散して成長させず、1つの産業に集中投資して成長させる」というものです。モノカルチャー経済などが代表ですが、余裕がない国や地域ほど、(どの政策であれ)どれか1つに全額を投資することが効率的だとされます。この考え方を傾斜生産方式と呼びます。当時の日本は、工業に全投資を行い、高度経済成長へ向かっていきます。
ただし、傾斜生産方式を実現するためにはどうしても資金が必要です。そこで、復興金融金庫というところからお金を借りることで資金調達をしました。その結果、インフレが進行しました。この時のインフレを「復興金融金庫からお金を借りたことによって発生したインフレ」なので復金インフレと呼びます。
また、当時はガリオア・エロア資金をアメリカから受けていました。ガリオア資金は占領地域の救済を、エロア資金は占領地域の復興を目的として援助していたとされます。
さらに、GHQは日本経済が自立することを目的に「経済安定9原則」と呼ばれるものを実施しました。この9原則をコントロールしたのが、GHQの経済顧問だったドッジという人だったので、経済安定9原則の具体的な内容をドッジ・ラインと呼びます。ドッジ・ラインによって、1ドル=360円の単一為替レートが作られたり、超均衡財政と呼ばれるくらい、支出を厳しく減らす財政が行われたりしました。さらに、ドッジ・ラインに沿ってシャウプさんという人によるシャウプ勧告も出されました。シャウプ勧告によって、日本は直接税中心になりました。
さらに、海外で朝鮮戦争が発生し、傾斜生産方式で作った工業製品が朝鮮戦争で売れるようになり、一気に儲かりました。
これらのように、「傾斜生産方式」「経済安定9原則」「朝鮮特需」と様々な要因が絡まって、空前の好景気を迎えることになりました。この景気のことを高度経済成長期と呼びます。