1-1. 変化の激しい現代だからこそ「人間とはなにか」改めて考えてみる(人間の定義)

人間とはなんなのでしょうか。

 

自分の人生などを深く考えていくと、突き詰めた先に「人間とはなにか?」という究極の問いにぶつかることがあります。

 

このようなことを考える人は、周りからは疲れていると見られるかもしれませんが、人生に疲れていたり、行き詰っていたりする人にとっては、大切な問いであり、新たな発見ができる可能性もあります。

 

はたして、人間だけができることとはなんなのでしょうか。

 

【人間とはなにか(基本の4分類)】

人間とはなんなのでしょうか。(言い換えると、人間だけができることとはなんなのでしょうか。)

 

この質問に対する答えを4つ紹介します。

 

1つめは、リンネという人が提唱した「ホモ=サピエンス(英知人)」というとらえかたです。

リンネは、人は「考える能力を持つ」と考えました。

つまり、人は他の動物と違って「考える」という特徴があるのではないかととらえたわけです。

 

そのため、人間としていろいろと考えることで、自分の人生に新しいなにかを見つけられるかもしれません。

 

 

2つめは、エリアーデという人が提唱した「ホモ=レリギオースス(宗教人)」というとらえ方です。

エリアーデは、人は「霊や魂の存在を考える」と考えました。

つまり、人は他の動物と違って「霊や魂などの宗教的要素に頼ることがある」という特徴があるのではないかととらえたわけです。

 

そのため、人は宗教的要素で、新しい方向性が見えるかもしれません。

 

 

3つめは、ベルクソンという人が提唱した「ホモ=ファーベル(工作人)」というとらえかたです。

ベルクソンは、人は「道具を使って自然に働きかける」と考えました。

つまり、人は他の動物と違って「なにかを作って環境を自分の都合の良いように作り変える」特徴があるのではないかととらえたわけです。

 

人生に行き詰って飽きてしまった人は、新しい物事に挑戦して何かを生産していくことで、自分の人生に彩りが生まれるかもしれません。

 

 

4つめは、ホイジンガという人が提唱した「ホモ=ルーデンス(遊戯人)」というとらえかたです。

ホイジンガは、人は「遊んでストレスを解消する」と考えました。

つまり、人は他の動物と違って「遊びの中から人間らしさが見えてくる」という特徴があるのではないかととらえたわけです。

 

人生に疲れた人は、思い切って遊んでみることで、新たな何かを得られるようになるかもしれません。

ただし、ホイジンガは「遊びは時間と空間とルールの中で行うもので、優劣や利害ではない」と考えました。

日本人の一部は遊びがヘタだと言われていますが、優劣や利害を考えずに純粋に楽しめるなにかを見つけていくことが、人間にとって必要なのかもしれません。

 

 

このように、「人間とは?」という基本の問いに対して4つの考え方があります。

ただし、これはあくまでも基本の話で、それ以外にもいくつかの「人間」の捉え方が考えられます。

 

 

【人間の捉え方(その他の定義・考え方)】

その他の考え方を提唱した1人に、フランクルという人がいます。

フランクルは、「動物は本能的な存在」であるのに対し、「人間は精神的な存在」であるということを考えました。

そう考えると、人間はもっと精神的な面に注目して、自分や他者の「気持ち」に注目することが大切なのかもしれません。

ちなみに、「精神的な存在」というのは、「自分がなぜ生きるのかを考える」という意味でとらえられています。

加速度的に変化する現代社会だからこそ、「自分の生きる理由」を見出すために自分の人生について一生懸命考えていくことが必要なのかもしれません。

 

また、ペスタロッチという人は、人間は「天使にも悪魔にもなりうる存在」であると考えました。

ちなみに、ここでいう「天使」と「悪魔」はどういう意味なのでしょうか。

ペスタロッチは、人間は人を愛して、正しいことを自分からすすんでやるという意味で天使だと考えました。

一方、人間は欲望のためには何でもやりかねないという意味で悪魔だと考えました。

(Aさんの彼女は、優しくて、いろいろなことを進んでやってくれるが、Aさんが他の女性と関わって欲しくないがために、Aさんの携帯に入っている男の人のアドレスを全て消させた場合は、天使と悪魔のどちらになるのでしょうか。)

 

なお、ペスタロッチは3H法(head(頭)、hand(手)、heart(心)の重視)という教育的視点も紹介し、心の教育重視として、教育学などで有名な人でもあります。(一部の大学ではペスタロッチ祭というのが行われるくらい重視しているのが分かります。)

 

さらに、アリストテレスという人は、人間は「ポリス的動物」であると考えました。

ポリスとは、当時の社会のことです。人間は、家族やその他のグループなどに育てられる、社会の中で生きる動物であるととらえたわけです。

 

そして、パスカルという人は、人間は「考える葦」であると考えました。

葦というのは、自然の中でも弱い草の一種で、人間は、宇宙に比べるとそれくらい弱いものです。しかし、人間は弱いにも関わらず、自分が死ぬことを知っていたり考えたりでき、宇宙は全くそれができない、と考えました。

 

つまり、人間だけは考えることができるので、考えることを大切にしようとしました。

 

また、葦は草の一種であり、固いわけではないので自然の中でしなやかに生きています。人間も葦のように、物事をしなやかに受け止める心を持っていると考えました。
ここでいうしなやかな心は、「繊細な精神」(=神を直観する心)と表現されます。

そのため、パスカルはホモ=レリギオース(宗教人)を重視したとされます。

 

 

はたして、人間とはどのような生き物なのでしょうか。

また、人間が豊かに幸福な人生を歩んでいくためには、どのような考え方が必要なのでしょうか。

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