【物事の根拠をどこに置くのか(古代ギリシア哲学のおこり)】
あるテストで良い点が取れたとします。
それ自体は素晴らしいことなのですが、なぜテストで良い点が取れたのでしょうか。
言い換えると、人は成功の原因をどこに求めるのでしょうか。
能力が高かったのでしょうか、努力した結果なのでしょうか、調子がよかったのでしょうか。問題の難易度が合っていたのでしょうか。運が良かったのでしょうか。周囲の人達が教えてくれたからなのでしょうか。
このような例がそうですが、人は物事の根拠をどこに置くかによって、結果や過程のとらえ方が変わることが考えられます。
この、「物事の根拠をどこに置くか」を考え始めた思想の出発点が、古代ギリシア哲学の始まりとされます。
【古代ギリシア哲学はなにを考えたのか(思想のはじまりの流れ)】
古代ギリシア哲学では、物事の根拠について最初は神話に求めました。
(神話をギリシア語でミュトスと言います。)
この時に、ホメロスという人が書いた『イリアス』・『オデュッセイア』、ヘシオドスという人が書いた『労働と日々』などが有名になっています。
(この2人の神話は、神を擬人化していたために用いられたとされています。)
ところが、神話はあくまでもお話です。
そこで、紀元前6世紀ころから、神話に頼らないで世界や人生が何かを知る、という考え方が生まれました。
その際に考えられたのが理法(ロゴス)でした。
理法とは、筋が通っている(正しい)ルールのことで、全ての人や物を理法(ロゴス)で説明しようとした当時の考えをギリシア思想と呼びます。
なお、ロゴスが大切だと最初に考えたのは自然哲学者と言われる人たちでした。
人間や世界の最も根本にあるものがなにかを考えた人達のことを自然哲学者と呼びますが、ここでいう根本を、当時のギリシアでは、根源(アルケー)と呼びました。
そして、自然哲学者が根源を求める態度をテオーリア(=理性を働かせること)と言いました。
例)タレス … 水
ピタゴラス … 数
ヘラクレイトス … 火 →「万物は流転する(物事は常に変化する)」と考えた
デモクリトス … 原子(アトム)
エンペドクレス … 土と空気と水と火
また、当時の価値観として、「知識が役に立つ」ことよりも「知識を得る」ことを重視しました。
このとき、純粋に知ることを愛する「愛知」(フィロソフィア)という言葉が生まれたとされます。
通常で考えれば、役に立つ知識を獲得したほうが良いような気がします。
ところが、当時は根本的に知識を得ることを重視しました。
それは、当時の人達にスコレー(余裕、ひま)があったからと言われています。
ただし、自然哲学者の隆盛の時代から、だんだんと社会が変化していくことになります。
【ソフィストの登場と相対主義】
紀元前5世紀ころ、古代ギリシアの中心がアテネになりました。
その際、考える対象が「自然」から「社会や人間」へ変化していきました。
(当時は民主政治の意識が人々に芽生えてきたために、考える対象が社会や人間へ変化したと言われています。)
民主政治ということは、話し合いによる物事の決定です。
であれば、できるだけ相手を説得することが物事を決定する上で重要になります。
そこで、当時の人々は弁論術(人を説得するための方法)を学ぼうとしました。
この時に、弁論術を教える教師として登場した人たちがソフィストと呼ばれました。
なお、ソフィストの代表がプロタゴラスという人でした。
プロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」という考えを残しています。
これは、「物事の基準は人間だが、その人間は一人ひとり見方が違い、そもそも生き方が全員違うため、物事の基準に絶対的に正しい答えはない」という考えです。
ここから導かれる考え方は、「絶対的な答えがないならば、他の物事と比較することで答えを探していくべきだ」という考えです。
このような、他と比較する中で物事の基準を探す考えを相対主義と呼びます。
つまり、結局のところ真理や正義などは人によって違うという考えです。
ただし、この相対主義に対して、批判した人がいました。
その批判で有名な人物をソクラテスと呼びます。
はたして、ソクラテスは物事をどのように考えていくのが良いとしたのでしょうか。