教育に携わる人間としては、現在の教育が将来にどのような影響を与えることになるのか、という点については大変気にするところではあります。
ただ、現代社会はあまりにも変化がはやすぎて、なにが正解なのかわかりません。今やっている教育が正しいかどうかも正直分かりません。
なので、定期的に「教育の必要性とは?」ということに立ち返るようにしています。
そうすると、やはり「遺伝か教育か」という議論にたどり着く気がしています。
人の能力はどうやって決まるか、という昔から行なわれている有名な議論です。
人によっては「親からの遺伝」と考える人がいます。
人によっては「教育によって決まる」と考える人がいます。
もちろん、どっちが正解で不正解ということはないと思います。
ただ、教育に携わる人間は「教育」の価値を信じるしかないと思うのです。
これだけ生成AIが普及して「なにを教育すべきか」という根本から議論する必要が出てきたり、これだけスマホが普及して、コミュニケーションのあり方そのものが変化してしまったりしているという、めまぐるしい現代社会では、それでも必要な教育を考えていく必要があると感じます。
私は、政治経済を専門としていますが、高校レベル(または公務員試験レベルまで理解してもいいかもしれません。)の政治経済は、多くの人達が一般常識として知っていていいのではないかと考えています。
そう考えると、教育の理由の1つは「あふれた情報から正しく判断する」というリテラシー能力の形成を担っている気がしています。
もちろん、「人格の完成」という教育の目的はあるかもしれませんが、特に政治経済という科目に注目して現代社会を考えると、リテラシーが必要な気がしています。(学習指導要領を否定しているわけではありません。)
ただし、この考え方が正しいかどうかも、変化の激しい現代社会では分かりません。
だからこそ、「教育の必要性」という根本について、改めて立ち返って常に振り返る必要があると思います。
必要がないのであれば、教育に携わる人間は他の分野に行くべきでしょうし、教育が必要だとしたら、どのような教育が必要かということを考えていく段階に2025年は入っている気がします。