自分の住所や病歴を、知らないところで集められる。
自分の病気について十分な説明がないまま、治療の方針を決められる。
この2つについて、1つは情報の問題、もう1つは医療の問題です。
どちらも、自分のことなのに、自分で決める機会が失われています。
この「自分のことを自分で決める」という土台を考えると、プライバシーの権利、個人情報保護、自己決定権の関係が見えてきます。
プライバシーの権利は「私の情報」を、自己決定権は「私の生き方や身体」を守るものです。
どちらも、個人を個人として尊重するために、他人の道具として扱わせないための権利です。
プライバシーは、ただ「秘密にすること」ではない
プライバシーの権利は、初めは、私生活をむやみに公開されない権利として考えられました。
家の中での出来事、病気、家族関係などを、本人の望まない形で広められれば、安心して暮らすことができません。
そこで、私生活に勝手に入り込まれたり、私生活上の事実を勝手に公開されたりしない利益を守ろうとしたのです。
ところが、コンピューターやインターネットが発達すると、「秘密を公表しない」だけでは足りなくなりました。
名前、住所、購買履歴、位置情報などが、本人の見えないところで集められ、結び付けられ、利用されるようになったからです。
そこで今日では、プライバシーを、自分に関する情報を、だれに、何のために使わせるかを自分で決める利益まで含めて考えるようになっています。これを自己情報コントロール権と表すこともあります。
技術が情報を集める力を強くしたため、守る対象も「秘密の中身」から「情報の集め方・使い方」へ広がりました。
これが、プライバシーの権利が発展した理由です。
自己情報コントロール権という言葉は、プライバシーの現代的な説明として使われます。
ただし、どのような情報について、どこまで自由に決められるかが、すべて確定しているわけではありません。
入試では、伝統的なプライバシーから、情報を管理する考え方へ広がったという流れを押さえます。
二つの文学作品から、プライバシー判例の核心をつかむ
プライバシーに関する有名な裁判には、小説が登場します。その作品名に加えて、表現の自由と、モデルになった人の私生活をどう調整したかに注目します。
「宴のあと」事件――私生活を勝手に公表されない利益
小説『宴のあと』は、実在の政治家とその妻を思わせる内容を描きました。モデルとされた人物は、私生活を公開され、精神的な苦痛を受けたとして損害賠償を求めました。
東京地方裁判所は1964年、私生活をむやみに公開されない利益を法的に守られるものとして認め、損害賠償を命じました。日本でプライバシーの権利を正面から認めた初期の裁判として重要です。
ただし、これは最高裁判所の判決ではありません。また、どんな事実でも本人が嫌がれば公表できない、という意味でもありません。社会的な関心や表現の自由との調整が必要です。
「石に泳ぐ魚」事件――公表した後では取り戻せない
小説『石に泳ぐ魚』では、モデルとなった女性の容姿や経歴などが描かれました。モデルとされた女性は、出版を止めることなどを求めました。
最高裁判所は2002年、プライバシーや名誉に重大な被害を与えるとして、出版の差止めと損害賠償を認める結論を維持しました。
なぜ、発表した後の賠償だけでなく、発表前の差止めまで問題になるのでしょうか。
それは、情報は、一度広く知られれば、完全に回収することができないからです。
「宴のあと」事件は、私生活をむやみに公表されない利益を示した。
「石に泳ぐ魚」事件は、重大で回復しにくい被害なら、出版前の差止めが認められる場合もあると示した。
| 事件 | 問題になったこと | 押さえる結論 |
| 「宴のあと」事件 | 実在人物を思わせる私生活の描写 | 東京地裁がプライバシー侵害による賠償を認めた |
| 「石に泳ぐ魚」事件 | モデルの容姿・経歴などの描写 | 最高裁で出版差止めと賠償が確定した |
二つの事件を学ぶ理由は、表現の自由もプライバシーも大切だからこそ、被害の大きさや回復の難しさを見て調整するという、判例の読み方を身につけるためです。
個人情報保護法――情報は、守るだけでも使うだけでも足りない
企業や行政機関は、買い物、医療、税、社会保障など、多くの場面で個人情報を扱います。情報を集めて利用すれば、サービスの質が向上し、社会全体が便利になります。
しかし、目的を知らせずに集めたり、勝手に別の会社へ渡したりすれば、個人の生活をおびやかしかねません。
そこで、個人情報の適正な取扱いを定めるため、2003年に個人情報保護法が成立しました。
法律は、個人情報を一切使ってはならない、としているのではありません。
利用目的を明らかにすること、目的に沿って扱うこと、安全に管理すること、第三者へ提供するときに一定のルールを守ることなどを求めています。
個人情報保護の目的は、情報の利用を止めることではなく、便利さを生かしながら、本人の権利や利益が傷つかない使い方にすることです。
「プライバシー」と「個人情報」は同じ言葉ではない
ここは、試験の際に区別したいところです。
プライバシーの権利は、私生活や自分に関する情報を守るという権利・利益の考え方です。
これに対し、個人情報保護法は、個人を見分けられる情報を扱うときの具体的なルールを定めた法律です。
たとえば、すでに公表されている氏名でも、個人を見分けられるなら法律上の個人情報になりえます。
反対に、「個人情報だから、一切使えない」というわけでもありません。
プライバシーは守るべき利益、個人情報保護法は情報を扱うルール。
関係は深いですが、同じものではありません。
通信の秘密――重大犯罪の捜査でも、無条件に聞いてよいわけではない
電話やメールの内容を他人に知られれば、安心して考えを伝えることができません。
そのため、憲法第21条第2項は通信の秘密を保障しています。
一方、重大な犯罪の捜査では、通信の内容が重要な証拠になることがあります。
通信傍受法は、対象となる犯罪や裁判官の令状など、一定の条件の下で通信を傍受する手続を定めています。
ここでも、プライバシーか捜査かのどちらかだけを考えるのではありません。捜査に必要な場合でも、国の力を手続でしばるという考え方が重要です。
住基ネットとマイナンバー ― 便利さの裏側を、制度で支える
行政機関が別々に情報を持っていると、住所変更や社会保障の手続きに時間がかかります。
そこで、本人を正確に確認し、行政事務を効率よく行う仕組みがつくられました。
住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)は、住民票の情報を全国の自治体などで結ぶ仕組みです。住民票のある人には、11桁の住民票コードが付けられます。
マイナンバー制度では、住民票のある人に12桁の個人番号が付けられ、社会保障・税・災害対策を中心とする手続で、同じ人の情報を正確に結び付けます。
| 比較 | 住基ネット | マイナンバー制度 |
| 番号 | 住民票コード・11桁 | 個人番号・12桁 |
| 主な役割 | 本人確認や住民基本台帳事務 | 社会保障・税・災害対策などの手続 |
| 押さえる点 | 自治体をまたぐ住民情報のネットワーク | 個人番号とマイナンバーカードは同じものではない |
マイナンバーは、住民票がある人に原則として付けられる番号です。
マイナンバーカードは、本人の申請によって交付される、顔写真付きのカードです。
番号によって情報を正確に結べば、行政は便利になりますが、同時に誤った情報の結び付きや情報漏えいの影響も大きくなります。
なので、番号そのものと同じくらい、利用範囲・安全管理・監視の仕組みが重要になります。
住基ネット訴訟――「合憲」は、何をしてもよいという意味ではない
住基ネットについては、本人の同意なしに個人情報を利用することが、プライバシーを侵害するのではないかと争われました。
最高裁判所は2008年、当時の制度には利用できる情報や目的の制限、安全管理の仕組みがあり、具体的な危険が生じているともいえないとして、憲法第13条に反しないと判断しました。
大切なのは、裁判所が「行政なら個人情報を自由に使ってよい」と述べたわけではないことです。利用目的や安全対策がしばられていたからこそ、その制度の下では合憲とされたのです。
自己決定権 ― 自分の人生を、自分で選ぶための権利
自己決定権とは、個人の生き方や、自分の身体にかかわる大切なことを、自分で決める権利です。主に憲法第13条の幸福追求権をよりどころとして考えられています。
この権利が必要なのは、「人生の結果を引き受けるのは、その本人だから」です。
他人に迷惑をかけない個人的なことまで、国や周囲が一方的に決めれば、個人を尊重したことにはなりません。
ただし、自己決定権も無制限ではありません。他人の生命や安全を傷つける場合や、社会に大きな影響を与える場合には、調整が必要です。
自己決定権の核心は、「本人にかかわる大切な選択を必要な情報を得た本人が引き受ける」ということです。
決して「なんでも好きにしてよい」ということではありません。
インフォームド・コンセント――同意の前に、選べるだけの説明がいる
医療では、患者が病状、治療方法、効果、危険性、ほかの選択肢などについて説明を受け、理解したうえで治療に同意することを、インフォームド・コンセントといいます。日本語では、一般に十分な説明に基づく同意と表されます。
ただ署名をもらえばよい、という手続ではありません。説明がなければ、患者は選びようがありません。難しい言葉だけで説明され、内容を理解できなければ、形だけの同意になってしまいます。
輸血拒否事件――問題は、輸血したことだけではなかった
宗教上の理由から、どのような場合にも輸血を受けないと決めていた患者がいました。ところが病院は、命を救うために必要なら輸血するという方針を、患者へ十分に伝えないまま手術を行い、輸血しました。
最高裁判所は2000年、宗教上の信念から輸血を拒む意思決定は、人格権の一内容として尊重されるとしました。
そして病院が治療方針を説明しなかったため、患者はその病院で手術を受けるかどうかを決める機会を失ったとして、損害賠償を認めました。
プライバシーの権利は「私の情報」を守り、自己決定権は「私の選択」を守る。
どちらも第13条の個人の尊重から考えられ、ほかの権利や利益との調整によって、具体的な守られ方が決まります。