【自由権の概要と注目する視点】
日本国憲法には、自由権に関する記述があります。
自由権とは「個人が国家権力による束縛から自由に行動する権利」とされます。「国家からの自由」というイメージですね。
この権利は[①精神/②経済活動/③身体]の大きく3種類に分かれます。また、自由権は日本国憲法の個人の尊重が背景にあります。
そして、自由権は「権利の名称 ― 裁判 ― 判例」という3つの視点に注目して理解していくことが必要となります。
【精神の自由とは】
精神の自由とは、個人の内面の自由を憲法で保障するものです。簡単に言うと「その人がなにを考えていようと自由である」という話です。
精神の自由は具体的に「思想良心の自由/信教の自由・政教分離の原則/表現の自由/学問の自由」の大きく4つが含まれます。つまり、なにを考えるのも、どの宗教を信じるのも、なにを表現するのも、どのような学問をするのも自由だということが憲法で保障されています。そのため、大きな4つの精神の自由のそれぞれを確認する必要があります。
【思想良心の自由(三菱樹脂事件)】
名称の通り、人々はどのようなことを考えようと自由だという話です。(考えたことを実際に行動に移すのとはまた別の話です。)代表的な裁判に三菱樹脂事件があります。Aさんをクビにした三菱樹脂は憲法の思想良心の自由に反して違憲になるのでしょうか。
このとき、Aさんは「自分が学生運動を行っていたのは、思想良心の自由であり、自分をクビにする三菱樹脂という会社は憲法違反ではないか」と考えたわけです。
はたして、Aさんをクビにした三菱樹脂は憲法違反にあたる(クビは問題である)のでしょうか。それとも憲法違反にあたらない(クビにして問題ない)のでしょうか。
《三菱樹脂事件の判決》
判決は、「違法ではない(クビにして問題ない)」となりました。
思い出してください。自由権は国家権力を縛るものでした。今回の裁判は、「個人」対「個人」の思想です。個人対個人はお互いに自由なので、違法性はないという判決になりました。
〈※参考:思想・良心の自由の侵害の疑いのある法律〉
思想・良心の自由の侵害の疑いのある法律を2つ確認します。
1つは「国旗・国家法」です。
この法律では、日の丸や君が代を強制することになるのですが、強制は思想・良心の自由の侵害になるのでしょうか。
具体的な事例として以前に話題になったのは卒業式ですが、卒業式での国家斉唱の強制は問題ないのでしょうか。実際に、卒業式での国家斉唱の拒否に対して懲戒となった事例がありますが、最高裁判所は、懲戒は合憲(国旗・国家の強制は問題ない)として扱っています。
もう1つは、教育基本法の改正です。
「教育の憲法」とも呼ばれるくらい、日本の教育のベースについて記載されている法律ですが、この法律に「愛国心」教育について明記されるようになりました。
愛国心まで教育することは若者の思想・良心の自由の侵害になるのでしょうか。
【信教の自由/政教分離の原則(津地鎮祭訴訟・愛媛玉ぐし料訴訟)】
信教とはなんの宗教を信じるのも自由という話です。その内容の一部に政教分離の原則があります。これは政治と宗教は分かれなければいけない、という考え方です。(政治と宗教がくっつくのは良くないという話です。)代表的な裁判に津地鎮祭訴訟と愛媛玉ぐし料事件があります。
ある時、三重県の津市が地元神社に対し、地鎮祭の謝礼を公費で支出しました。この津市の地鎮祭に対する公費支出が政教分離の原則に違反するのではないか、ということになりました。政教分離の原則違反なのでしょうか。
《津地鎮祭訴訟の判決》
答え(裁判所の判断)は、政教分離の原則に違反しない(=違憲ではない)でした。
裁判所は、①行為の目的に宗教的意義が含まれるか/②支出の効果が特定宗教への援助にあたるか、という2つの基準で判断しました。(これを目的効果基準と言います。)
①地鎮祭は世俗的行事であり、宗教行事ではないため、宗教的意義は含まれず、
②支出の効果は、特定宗教の援助にあたらないと判断し、合憲となりました。
そんな靖国神社に対して、愛媛県が玉ぐし料を公費で支出しました。なお、玉ぐしとは金品のことで、遺族の願いがあったことが支出の理由だとされています。
この靖国神社への玉ぐし料の支出に対して、愛媛県松山市の住民が「玉ぐし料の公費支出は政教分離の原則に対する憲法違反ではないか」として、県知事と県職員に対して損害賠償請求を行いました。愛媛県の玉ぐし料の公費支出は違憲でしょうか、合憲でしょうか。
答え(裁判所の判断)は「憲法違反にあたる」でした。
なお、[空知太神社訴訟]と呼ばれる、公有地を神社の敷地として無償で使用させたことが政教分離の原則に反するのではないか、という論点の裁判も違憲判決が出ています。
【表現の自由(家永教科書裁判)】
日本国民は、何を表現するのも自由という、名称の通りの内容です。表現の自由があるため、憲法では日本政府による検閲(出版物の内容を事前に確認して、出版の是非を判断すること)の禁止が明記されています。では、この表現の自由はどこまで認められるのでしょうか。
はたして、教科書検定は表現の自由に反し、また検閲に該当するのでしょうか。
《家永教科書裁判の判決》
答え(裁判所の判断)は、「教科書検定は合憲である」です。裁判所は、教科書という性質上、検定を行うのは仕方ないとしています。そのため、児童生徒が普段使っている教科書には「検定済み」という表現がどこかに記載されています。
【学問の自由(東大ポポロ事件)】
小中高と違い、大学は学問を行います。既存の学びに対して問うことをするのが大学なので、小中高のように「教科書の内容を確実につかもう」というようなことは行いません。
そんな学問に憲法上の制限がかかると科学的な進展がなく、新たな発見につながることも難しく、結果的に学問が止まってしまいます。そこで、憲法では学問の自由を保障しています。ただし、小中高は学問を行う場所ではないので、「学問の自由があるから爆弾の作り方を理科で教えろ!」みたいなことはできないわけです。なお、小中高で学習する内容は学習指導要領という枠組みがありますので、学問ではなく学習指導要領が小中高にとっては重要になります。そんな学問の自由を根拠とした裁判の判決はどうなるのでしょうか。
はたして、この東大生は有罪でしょうか、それとも無罪でしょうか。
結果は東大生に有罪の判決が出ました。最高裁判所は、「学問の自由と政治的自治は無関係」という判断を出しました。(ただし、一審と二審は無罪でした。)
このように、精神の自由は判例と一緒に確認して理解することが必要になります。