2-1. 日本憲法は昔と今でなにが違うのか(大日本帝国憲法について)

明治時代の初期は、幕末の開国の影響もあり、海外へ目を向けながら富国強兵などを目指すという、日本の大きな転換期の1つとなっていますね。

そんな明治時代の初期に、過激な思想を持つ人々の一部が、社会に対して暴力的な行動を行なう可能性が出てきました。
もちろん、暴力的な行動を行った人を逮捕すれば、日本の治安維持は可能でしょう。
しかし、あくまでも「暴力的な行動を行なう可能性が出てきました」なので、可能性で止まっています。
可能性だけで人々を取り締まってしまうと、人々の言論の自由を奪ってしまうことになりかねません。

そこで、明治時代のような大きな転換期に、治安維持と言論の自由を両立させるそんなアイデアの1つとして大日本帝国憲法が見られます。

 

【大日本帝国憲法の内容とは】

大日本帝国憲法欽定憲法(=天皇が制定した憲法)なので、大日本帝国憲法の前提は「天皇を中心に考える」ことです。天皇に注目しましょう。

 

まず、大日本帝国憲法は天皇大権があり、天皇が統治権総攬します。総攬は全ておさめること、という意味です。つまり、大日本帝国憲法によって、日本は天皇がすべておさめている状態になります。

そのため、天皇の諮問機関として枢密院があり、天皇の協賛機関として帝国議会が、天皇の輔弼機関として内閣が、天皇の代理機関として裁判所がありました。これらの機関は全て天皇を支えることが前提となっており、やはり天皇中心の政治システムであることが考えられます。

ただし、政治機構(帝国議会・内閣・裁判所)に対して、超然内閣(議会を無視した政策を行う内閣)も登場するなど、多少の混乱は見られました。

 

また、当時の国民は「臣民」と呼ばれ、臣民の権利は法律の範囲内で認められることになりました。これを法律の留保と言います。

つまり、作る法律次第で当時の人々の権利を簡単に奪うことができる、という話ですね。例として、治安維持法などがあげられますが、一方で大正デモクラシーの流れを受けて治安維持法と同じ年に普通選挙法(男子普通選挙の実現)が制定されたことも注目でした。

 

さらに、統帥権(軍部の最高指揮権)を独立させています。(その結果、軍部が暴走して戦争を引き起こしてしまっているという日本の歴史があります。)

 

【大日本帝国憲法から日本国憲法へ(制定の経過)】

日本国憲法は、第二次世界大戦後(日本の敗戦後)に作られました。

日本の敗戦と言えばポツダム宣言は有名です。そのポツダム宣言の後に、GHQのマッカーサーが新しい憲法を作るよう指示を出しました。

そこで、松本烝治という人による松本案が作成されたのですが、この案が大日本帝国憲法とそんなに変わらないという理由で、GHQに拒否されました。

その結果、マッカーサー草案という現在の憲法のもとが作られました。

そして、マッカーサー草案を帝国議会で審議し、修正し、可決したことで日本国憲法が成立しました。この帝国議会が大日本帝国憲法の下での最後の議会です。

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